不思議な少年との心の交流『風の又三郎』
地方の子供たちにとって、都会からやってきた「転校生」は何かと気になるもの。かっこよく見えたり、ちょっと近寄りがたかったり……。『風の又三郎』からも、そんな子供たちの思いが伝わってきます。
舞台となるのはとある田舎の小学校。全校児童のほとんどがひとつの教室で学ぶような山間の小さな学校に、高田三郎という名前の転校生がやってきます。
髪は赤毛、標準語をしゃべり、堂々としていて田舎の子供にはない雰囲気を持っている三郎。まるで外国人みたい。村の子供たちは三郎のことを「風の又三郎ではないか?」と噂します。風の又三郎とは、伝説に登場する風の神様の子供のこと。最初は三郎のことを敬遠していた子供たちでしたが、だんだん仲良くなっていき、三郎を通して様々な経験をしていきます。
高田三郎がこの小学校にいたのは、9月1日から9月12日までのわずか10日余り。大きな事件が起きるわけでもなく、小さな村の中で、物語は淡々と進みます。そして、彼が何者なのか、本当に風の神の子なのか分からないまま、神秘的な雰囲気を残したまま、高田三郎はどこかへ行ってしまうのです。
本文の中では、高田三郎のことなのか、風の又三郎なのか、二人は同一なのか、はっきりとした線引きがなく、村の子供たちならずとも、読み手である私たちも、風の又三郎が目の前にいるかのような感覚に……。郷愁を誘う、爽やかな気持ちになれる一冊です。
おそらくもっとも有名な童話『注文の多い料理店』
国語の教科書で読んだ、という記憶のある方も多いでしょう。
『注文の多い料理店』は、9つの短編が収録されている短編集。タイトルにもなっている『注文の多い料理店』は、宮沢賢治の代表作ともいえる童話です。
そのあらすじはというと……。
紳士が2人、山で道に迷ってしまい、歩き回っているうちに洋風の料理店を発見します。その店はなんと「注文の多い料理店」。こんな山の中なのにたくさん注文が来るなんて、よほど美味しい料理を出す店に違いない、と2人は喜び、店の中に入っていきます。
店内に入ると、扉の前に「髪をとかしてください」「鉄砲を置いてください」などの貼り紙が。美味しい料理を食べるためかと思い、指示に従う紳士たち。最後に自分たちの体に塩を塗るよう指示が出て……。果たして、「注文の多い料理店」の正体とは?紳士たちの運命やいかに……。
タイトルの「注文の多い」という言葉の意味をどう解釈するかがポイントになる、サスペンスの要素も含んだ童話です。
声に出して読みたい名作『セロ弾きのゴーシュ』
宮沢賢治の童話の中には、日本名ではなく洋風な名前の人物が登場するものが多く、無国籍の独特な世界観を生み出しています。
『セロ弾きのゴーシュ』は宮沢賢治が亡くなった翌年の1934年に発表された作品です。
セロとは弦楽器のチェロのこと。宮沢賢治は、地元の農家の人々とともに楽団を結成したいと考えていた時期があり、チェロを購入して練習していたといわれています。そのせいか『セロ弾きのゴーシュ』の中には、主人公のゴーシュがチェロを弾く様子がリアルに描かれていて、ゴーシュが奏でるたどたどしい音が生き生きと聞こえてくるよう。様々な「音」が書かれているので、できれば大きな声を出して読んでみたい、そんな一冊です。
町の楽団でセロを担当しているゴーシュは、お世辞にも上手とは言えないセロ弾き。いつも楽団長に怒られています。
少々やさぐれた雰囲気のゴーシュ。そんなゴーシュの元に、夜な夜な様々な動物たちがやってきて、あれやこれや意見をしてセロの演奏をさせます。ゴーシュは動物たちの容赦ないダメ出しにブリブリ言いながらも、毎夜毎夜演奏を続けるのでした。
ある日の音楽会の後、楽団にアンコールのお呼びがかかります。楽団長はゴーシュを指名。いやがらせ?馬鹿にされてる?ゴーシュはムカつきながらも、動物たちとの演奏を思い出し、「印度の虎狩り」という曲を見事に熱演。楽団のみんなから賞賛されたのです。
不器用でふてくされ気味なゴーシュを自分と重ね合わせて読んだという人も多いはず。ゴーシュはこの後、有名チェリストになったのかな?そんなことを考えながら読んでみるのも楽しいです。
大切な人を思いながら『銀河鉄道の夜』
宮沢賢治と言えばこれ、という方も多いでしょう。
独特の言葉遣いと造語、言い回しが生み出す世界観。1924年頃から10年ほどの間何度も練り直し書き直しされており、まだ書き直すつもりだったのでは……と思われる中、賢治が死去してしまったため、読み手によって様々な解釈がなされる場面も多い不思議な物語です。
宮沢賢治の代表作。この物語を題材にしたアニメや映画、漫画が数多く誕生しているところからも、人気の様子がうかがえます。
独特の言葉がたくさん使われているので、お話の内容をまとめるのが難しいところですが、大まかなあらすじは以下のとおりです。
主人公はジョバンニという貧しい学生。父はあまり家には帰らず、母は病床、親しい知人も少なく、家が貧しいのでバイト生活。学校でいじめられることもある孤独な少年で、友人のカムパネルラ(カンパネルラ)だけが心のよりどころでした。
ケンタウル祭りの夜も、ジョバンニは印刷所で仕事。帰り道、いじめっ子の同級生たちとカムパネルラに遭遇します。いじめっ子はいつものようにジョバンニをからかいますが、カムパネルラは気の毒そうな顔をして少し笑うだけ。ジョバンニは祭りへは行かず、一人で丘の上へ。
さみしく星空を眺めていると、いつのまにかジョバンニは「銀河鉄道」に乗車していました。車内にはカムパネルラも座っています。2人は銀河鉄道に乗って銀河を旅しながら様々な人と出会い、お互いに「みんなの本当の幸せのために一緒に歩もう」と誓い合うのです。
しかしその直後、カムパネルラは姿を消してしまい、ジョバンニは家で目を覚まします。そしてカムパネルラの身に起きたことを知り、本当の幸せとは何かを悟るのです。
ふっと心が温かくなる・宮沢賢治の童話の世界
宮沢賢治の童話は、西洋のものとも日本のものともどこか違う、独特の世界観を持っています。浮世離れしたメルヘンのようでもあり、庶民的であったり。主人公たちは今、どんな光景を見ているのだろう?と、想像を掻き立てられます。読んだ後、ふっと心が温かくなるのもうれしい。大人になってからもまた読み返したくなる宮沢賢治の童話、ぜひ皆さんも、もう一度手に取って読み返してみてください。