「空を飛びたい!」途方もない夢を抱いた政元が暗殺されるまで
政元が実子に恵まれなかった理由は、彼が修験道(しゅげんどう)に傾倒していたことと関係がありました。それだけではなく、彼は本気で天狗のように空を飛ぼうと考え、怪しげな呪術に入れ込んでいたのです。そんなことがあり、後継者問題が遅々として進まない中、養子たちに仕える家臣たちからは不満が漏れ始めていました。そして、その不満は凶刃となって政元に向けられることとなるのです。
本気で天狗になろうと思っていた
政元は修験道に傾倒していました。修験道は女人禁制だったため、政元は女性を近づけようとしなかったのです。これでは子供も生まれませんので、養子をもらうようになったわけですね。
また、修験道は山岳信仰や山伏などに関係しており、政元は山伏になって天狗のように空を飛びたいという夢を持つようになっていたのです。実際、天狗で有名な京都の鞍馬寺に籠もり、山伏に教えを受けて修行までしていました。
また、妙な呪術を始め、ついには空に飛びあがり空中浮遊したという話まで出るようになったのです。やがて、政元の屋敷から、頭が馬、尾は蛇、牛の蹄をもった怪鳥が出現したとか、生首が浮いていたとか、実にオカルトチックな噂が彼を取り巻くようになったのでした。
出奔癖のある気分屋だったため、家臣たちの不満が蓄積
修験道に凝るのが趣味の域ならばまだいいのですが、謀反や紛争が続くようになると、政元はそれに嫌気が差し、「奥州へ修行に行く!」と言い出し、突然出奔しようとします。こんな時に出奔癖が出るなんて、気分屋にもほどがありますよね。
この時ばかりは家臣たちに止められ、出奔は断念しましたが、こうした政元に対し、すでに浮上していた後継者問題に関する不満を持つ家臣たちも出てきていました。結局、政元の後継者が澄之になるのか澄元になるのかはっきりせず、それぞれの陣営に属する家臣たちは、政元への不満を募らせていたのです。その中に、廃嫡された澄之の補佐役・香西元長(こうざいもとなが)がいました。
養子の補佐役に暗殺される
澄之の補佐役である香西元長は、補佐役となった三好之長(みよしゆきなが)がめきめきと力をつけ、台頭してきたことに危機感を抱いていました。
このままでは、澄之は当主になれず、その補佐役である自分もどうなるかわからない…そう考えた元長はついにある行動に出ることを決断します。
永正4(1507)年、政元は性懲りもなく呪術の準備として湯殿に入り、入浴し始めました。
この隙を、元長は逃しませんでした。湯殿に数名と乱入し、政元を暗殺したのです。政元は42歳でした。
「半将軍」と呼ばれ、栄華を極めた人物にしては、あまりにあっけない最期でした。
権力者としての自分と、夢追い人としての自分を両立できなかった政元
政元の死後、案の定、養子たちの家督争いが起きました。それは「両細川の乱」という大きな戦に発展し、細川家自体の弱体化を招いてしまいます。一方、政元によって弱体化が始まった足利将軍家もまた、戦乱にさらされ、さらに形骸化していくのです。やがてこの中から力を付けた武将たちが誕生し、時代は戦国へと突入します。政元は有能な人物でしたが、将来を見据えるという視点は欠けていたのかもしれませんね。