【早合点(はやがてん)】の語源となった鉄砲の逸話
本能寺の変で織田信長が亡くなったのち、各地で羽柴秀吉に付くものと、徳川家康に味方するものが分かれることになりました。
羽柴方の森長可は、敵方になった遠山友忠の籠る苗木城(岐阜県中津川市)を攻めるため、大軍を率いて進軍することに。
その軍勢が坂折峠に差しかかった時、遠山方の鉄砲名人、小池忠兵衛、喜三郎の兄弟が待ち構えていました。そして悠々と軍勢を従える森長可に向けて、小池兄弟は狙いを定めてズドンと射ち放ちました。森長可はバタリと馬から転がり落ちます。
小池兄弟は勝ち誇るように「小池兄弟が、敵の大将森武蔵守長可を討ち取ったり!」と大声で名乗りを上げて引き上げていきました。
しかし大将の森長可は馬から落ちはしましたが、運良くかすり傷ひとつ負っていませんでした。小池兄弟はてっきり長可を討ち取ったものだと思い込み、大声で自分たちの名を叫んでしまったのが運の尽き。後になって探し出され、長可によって成敗されてしまいました。
よく確かめもしないで早合点(はやがてん)するのは良くないということで、この逸話を「坂折峠の早合点」と呼ぶそうです。
日本の戦国史を彩った鉄砲
鉄砲という画期的な武器の登場によって、日本の戦国時代は様変わりしました。戦術の変化もさることながら、甲冑の様式もより耐弾性のあるものが工夫され、築城法も高石垣や塗込め壁などが登場しました。何より戦国時代そのものを終わらせたのも、鉄砲の役割に負うところが多かったのではないでしょうか。まさに歴史そのものを変えたといっても過言ではないでしょう。