幕末日本の歴史江戸時代

江戸時代後期の歴史を動かした「御三卿」をわかりやすく解説!

清水家

清水徳川家は江戸幕府9代将軍徳川家重の次男である徳川重好を家祖とし、江戸城清水門内に屋敷を構えていたことから名つけられました。

そんな清水家ですが、この家の特徴といえば初代からずっと子供が家を継ぐことがなかったこと。この家は初代である徳川重好以降、実子が生まれることはありませんでした。

そのため、清水家の場合だと将軍の弟を清水家の養子にしてなんとか家を保とうとしていました。特に徳川家斉の時代には息子敦之助を当主としておいて30年ほどの間に斉順、斉明、斉彊と次々に息子を清水家当主に据えたほど。しかしどの当主も長生きすることはなく、さらには御三家に転出した当主が相次いだこともあって20年ほど明屋敷だったのはざらでした。そのためこの清水家は御三卿の中でも特に家がコロコロ変わっていたのです。

幕末期には水戸徳川家から徳川篤守が養子に入り、明治維新を迎えることになります。

御三卿の功績

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御三卿というのは将軍の親戚として配置され、宗家や御三家にいい人材がいない時に養子が出されることがメインの家でしたので御三卿はとても大切にされていました。

特に当主がいなくても断絶することはないことは魅力以外の何者でもなく、たくさんの家に養子を出し、将軍に就いた人も現れることになります。御三卿を辿れば徳川吉宗に行きますし、さらには徳川家康にも繋がるためあまり血統については気にしなくても良いことも相まって、御三卿は江戸時代後期にはとても重要な働きを見せていたのです。

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