土用の丑の日にウナギを食べる習慣と平賀源内の関係とは?
毎年7月20日前後、夏の土用の丑の日になると、スーパーやデパートの店頭にウナギの蒲焼が並びます。
平賀源内が「土用の丑の日にウナギを食べるとよい」と言ったことがこの習慣の起源である……。そんな話を聞いたことがある方も多いと思います。
ただ、これはあくまで通説であり、そのような文献が残っているわけではないのだそうです。
今でこそ、夏の暑い時期に体力をつけるためにウナギを食べるのは効果的であるとわかりますが、江戸時代となると状況は違います。こってり脂っこいウナギ、夏場の売れ行きは芳しくありませんでした。
そもそもウナギは冬場のほうが美味しいもの。夏にもウナギを売りたいウナギ屋から相談を受けた平賀源内、例によって考えをめぐらせます。源内は「本日丑の日」と書いた貼り紙を店の前に貼るようアドバイス。丑の日に「う」の付くものを食べて精をつけよう、というところから、ウナギが飛ぶように売れたのだそうです。
この話が広まり、土用の丑の日にウナギを食べる習慣が定着。江戸っ子たちは夏場もウナギを食べるようになったと伝わっています。
このお話はあくまでも通説であり、文書として記録が残っているわけではありません。ただ、平賀源内のエピソードの中には、歯磨き粉や菓子の販売用のコマーシャルソングのようなものを作詞作曲した、という話も残っています。
商品を単に販売するだけでなく、印象的な売り方をしたり、ちょっとした工夫をするだけで売り上げが倍増する、かも……。現代社会にも通じるこの考え方を、平賀源内は200年以上も前に実証していたのです。
学者であり発明家であり名プロデューサー:鬼才天才・平賀源内の生涯
テレビの時代劇や小説などに登場することもあったので、どういう人物かわかっているつもりでいましたが、子供時代がどのようなものだったのか詳しく知ることができて大変有意義でした。発明家や作家として人気者だったはずなのに、最期は獄中死だなんて、悲しいこともあるものです。死因は病死(破傷風)ともいわれているそうですが、幕府が死を偽装し、本人は逃れて讃岐で余生を過ごした、との説もあるとか。天才にミステリーはつきもの、といったところでしょうか。