最後の軍人皇帝:ディオクレティアヌス
3世紀の中頃あたりから、軍人出身者がローマ皇帝に即位することが多くなります。
この頃になると、シリアやペルシアなど、東方に強大な王朝が誕生。さらに北方ではゲルマン民族の動きが活発になります。
広大な領地をもつローマ帝国。東西南北、四方八方に目を向けなければなりません。国内でも、政治家より軍人が強い発言権を持つようになっていました。
そんな軍人皇帝時代の混乱を鎮め、専制君主政治を推し進めたのが284年に即位したディオクレティアヌス帝です。彼自身も軍人出身でしたが、彼を境に軍人皇帝の時代は最後となります。
ディオクレティアヌスは混乱をおさめるため、遷都を慣行。荒れたローマから首都をニコメディアへ移し、軍事力の強化に努めます。
まず、共同皇帝体制を利用して東西分割を導入。領地を2分割し、それらをさらに2分割。4つに分けることで混乱を鎮めようとしました。これが東・西ローマ帝国へとつながっていきます。
さらにディオクレティアヌスは、皇帝の力を強めるため、当時広がりを見せていたキリスト教やマニ教の弾圧・迫害を行いました。
偉大なる大帝:コンスタンティヌス1世
さらに時代は進み、306年に皇帝となったのがコンスタンティヌスです。
ローマ皇帝で初めてキリスト教を信仰した皇帝として知られるコンスタンティヌス。宗教のほかにも、商業や工業の発展に目を向け、様々な改革を行った皇帝としても知られています。
コンスタンティヌス1世が即位する前の数年間は、政局が目まぐるしく変換する激動の時代でした。
コンスタンティヌス1世はそんな時代に、父であり西ローマ帝国の皇帝でもあったコンスタンティウス・クロルスの息子として成長し、皇帝となります。
彼はまず初めに、父同様、西ローマ帝国の皇帝に即位。そして、長年東西に分割されていたローマ帝国の再統一を目指し、東側の皇帝を征服。再びローマ帝国をひとつにします。
さらに、首都を東方に遷都。自らの名からコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)と命名。巨大帝国を取り戻しますが、彼の死後、息子や親族たちの争いや内乱が勃発し、ローマ統一状態は長くは続きませんでした。
こちらの記事もおすすめ
ローマ皇帝はつらいよ……国が大きくなりすぎて苦労続きだった覇者たちの生涯
image by iStockphoto
ローマ帝国に限らず、広大な領地を持つ国は強くなったらなったで、内乱や権力争い、外部勢力からの防衛など、それなりに苦労があるものなのだなぁと改めて感じました。こうして見てみると、外部勢力より内部の、それも兄弟や親戚同士の妬みが命取りになることが多いとわかります。もしかしたら歴史を動かしてきたのは、人間の心の中に芽生える猜疑心や嫉妬心だったのかもしれない。皇帝たちの生涯を読みながら、ふとそんなことを感じました。