幕末日本の歴史江戸時代

幕末に活躍した青い目をした日本人「アーネスト・サトウ」を歴史系ライターが解説!

正式な英国公使となるために回り道を決断する

通訳・書記官としての仕事も順調で、妻や子供たちとの生活も何不自由ないものでしたが、アーネストには今一つ心穏やかざる感情がありました。彼ももう40という歳になり、自分自身の将来を見据えなくてはならなかったからです。

そんな彼は複雑な心情を日記に表していますね。1882年に同僚のウィリスがイギリスへ帰国した際に記した一文があります。

 

「色々考えてみたが、結局ウィリスが日本を去ったのは正しかった。彼は日本という小さな場所で人生を浪費するのはもったいないほど、いい奴なのだから。」

引用元 「遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄 旅立ち」より

 

この言葉は、彼自身が日本で「人生を浪費する」ことに不安感を抱き、焦りを感じていることを表わしているものでしょう。外交官となった以上は「公使となる」夢を果たしたい。彼自身、決断に迫られていました。

しかし今の通訳書記官という立場では、公使に昇進できる道は閉ざされています。そこで彼は愛する家族を日本に置いてまでも回り道することを選択したのでした。

一度日本の外に転出し、よりマイナーな地域で兎にも角にも在外館長となり、その後、公使となって日本へ戻ってくること。そう決断した彼はバンコク駐在代表兼総領事という空席を志願し、将来日本へ公使として戻ってくる可能性に賭けたのです。

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遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄〈1〉旅立ち

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公使として戻ってきたアーネスト

1884年に日本から離れた後、ロンドンへ戻らずにバンコクへ赴任したアーネストは翌年には早くも弁理公使兼総領事に昇進し、1889年5月からは南米ウルグアイの弁理公使、続いて1893年8月からはモロッコ駐箚特命全権公使を歴任しました。

着実にキャリアを重ねていく彼の功績が認められたためか、1895年、ついに念願の日本特命全権公使に任命されたのです。しかもオマケまで付いていました。日本へ赴任前の6月、ヴィクトリア女王かららサーの称号を授与され、晴れてアーネスト・サトウ卿として正式公使として日本へ赴くことになったのです。

アーネストはこの時52歳。苦節12年での凱旋となりました。

日光を愛したアーネスト

かつて通訳書記官として日本にいた頃に比べて、仕事の内容は全く違ったものになりましたが、最も大きな変化があったのは時間に余裕ができたこと。公使は実務以外にも社交なども重要な仕事の一つでした。そのためアーネストは何度も訪れたことがあり、お気に入りの場所でもある奥日光の中禅寺湖に別荘を新築したのです。

現在でも風光明媚な中禅寺湖畔に、アーネストが建てた別荘が復元されており、「英国大使館別荘記念公園」として当時の面影を偲ばせてくれています。

アーネストが公使として赴任していた5年間のうち、31回にわたって奥日光の別荘へ足を運び、延べ218日も滞在していたそうです。

彼の別荘での日常は社交だけではありません。湖畔を歩き、ボートに乗り、そして山に登る。こういった自然を愛する姿勢は、のちに植物学者であり日本山岳会を創立する次男の久吉に受け継がれていったのでしょう。

1899年には家族のために日光に新しい別荘を建てていますね。

日本を離れ、英国紳士となったアーネスト

日本での5年の任期を終え、アーネストは日本を離れることになりました、次の行き先は中国(清)です。中国在任中にはエドワード国王から「ナイト」の称号を授けられ、さらに翌年には日本政府から「勲一等旭日章」が授与されました。名実ともに外交官として最高の叙勲を受けたのです。

外交官としての引退は1906年でしたが、その後ハーグ国際仲裁裁判所の英国代表に任命されて6年間在職し、翌年からは治安判事にも任命されました。

しかしなぜかアーネストはイギリスへ帰国後、日本離れを起こすようになりました。同僚だったアストンやチェンバレンらが日本研究の書籍を出版しているかたわら、彼は所蔵していた日本の書物を友人に譲ったり、大英博物館やケンブリッジ大学などに売却しているのです。

イギリスに戻ったことで、日本への想いや情熱が薄れてしまったのでしょうか?また日本の家族への愛情もなくなってしまったのでしょうか?

そんなことはありません。アーネストは終生日本を忘れるということはなかったことでしょう。なぜならアーネストが晩年過ごした家には庭があり、そこで次男久吉から送ってもらった日本の苗木を育てていたからですね。吉野桜の苗を眺め、庭で育てた日本のキュウリやリンゴも食卓に並んでいたのだそう。そしてこまめに家族への手紙を書いては日本へ送っていました。

また日本の書物を処分したことについては、老いた自分がずっと手元に置いているよりも、日本のことをまだ知らない人々に読んでほしいという思いからでした。

生涯、日本を愛し続けたアーネスト・サトウ

image by PIXTA / 40697938

若き日に日本を訪れ、その一生をかけて日本とイギリスのために尽くしたアーネスト・サトウ。彼の大きな足跡は単なる一外交官というだけには留まりません。幕末から明治の激動の時代の中で、日本とイギリスとの懸け橋になった偉人だといえるでしょう。現在も残る写真を見る限りかなりのハンサムですが、おそらくかなりモテたのではないでしょうか。しかし浮気をしたという記録もありませんし、彼自身は家族をとても大事にしています。やはり彼は立派な英国紳士だったということなのでしょうね。

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明石則実