移動手段の発達
ワットによって蒸気機関が改良されると、イギリス国内では工場で大量に生産した商品を港に持って行き輸出するという動きが見え始めていきます。
1761年にはブリッジウォーター運河が開通したことによって炭鉱と港町であったマンチェスターが結ばれて石炭の価格が一気に下がり、経費も大幅に節約できるようになりました。
そのためイギリス各地で運河の建設が急ピッチで行われるようになり、イギリスにおいて運河時代が起こるようになりました。
また、陸地では蒸気機関車が登場するようになり鉄道が開通。1850年には5000マイルもの距離の鉄道が開通しました。またロバート・ブルトンによって蒸気船が開発されるとこれまで帆船でなんとか貿易していたのが自由に運行できるようになり、交通革命と呼ばれる一大革命が起こったのでした。
第一次産業革命の影響
この第一次産業革命によってこれまで羊毛と農業でなんとか運営していた田舎の国であったイギリスは世界の工場として世界に覇を唱えるようになりました。
一方で市民の生活は産業革命によってどんどん劣悪なものになっていき、ラッダイト運動と呼ばれる機械打ち壊し運動が起こるなど社会で混乱が起こり、また都市部への人口集中、低賃金、工場周辺のスラム化、疫病などの問題も生じてしまいます。
ちなみに、イギリスで紅茶が盛んに飲まれ始めるようになったのはこの産業革命の時代からでした。
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【第二次産業革命】軽工業から重工業に
第一次産業革命が起こった少し後、新興国であったアメリカやドイツなどでは軽工業ではなく重工業を中心とした時代が起こるようになります。
次はそんなアメリカやドイツを中心とした国々で起こった第二次産業革命について見ていきましょう。
電気の有効活用
第二次産業革命において一番の発展といえばなんなのかと聞かれたら一番重要なのが電気の発展でしょう。
これまで雷ぐらいでしか認知されていなかった電気という存在を有効活用していったのがこの第二次産業革命の発展の要素の一つのなっていきました。
その中でも特に電気を有効活用したのが発明王として有名なエジソン。エジソンは電球の実用化などさまざまな分野で電気製品を発明し、電気というものを人々の生活必需品としていったのでした。また、ニコラ・テスラによって交流電流も発明されるとあまり損失を起こさずに電気を大量に輸送できるようになり電気が田舎にも届く技術が確立されていったのです。
自動車の発明
第二次産業革命においてもう一つ重要な発明が自動車の発明でした。第一次産業革命によって蒸気機関が実用化されていきましたが、時代がたつとこの蒸気機関だけではまかないきれないほどの膨大な量を輸出しなければならないという状態に陥ってしまいました。
そこで開発が進んでいたのが石炭や石油などを使ってそのエネルギーで動かすという内燃機関。
1870年代になるとこの内燃機関を使って自動車というものを開発していくようになります。そして1885年にガソリンエンジンの特許を取得したことによって自動車の技術が飛躍的に上昇。アメリカではヘンリーフォードが1908年にフォード・モデルT(T型フォード)を開発したことによって自動車が一気に普及することになります。
こうして第二次産業革命は軽工業中心だったものが重工業中心のものへと変貌を遂げるようになっていったのでした。
第二次産業革命の影響
第二次産業革命の影響は計り知れないもので、まずこれによりこれまで世界の工場であったイギリスがアメリカやドイツなどに負けるようになってしまいました。
イギリスはこの頃大量の植民地や金などを手に入れており、一種のデフレ状態に陥っていました。これによって市民がお金を溜め込むようになり国内投資が遅れる状態となってしまったのです。
その裏で1871年にドイツ帝国が成立したドイツではイギリスの模倣をしながらも工業化を成し遂げたことによって大量の工場を建設することができ、また普仏戦争によって大量の賠償金を得たことによってそのお金を国内のインフラ投資や、ドイツの化学工業などに使うことができるようになりました。
また、アメリカでは潤沢な資金と資源によってドイツと同じく大量の工場が建てられるようになり、1900年にはイギリスを追い抜いて世界一の工業力を誇る超大国にのし上がることになったのです。
こうして超大国となったアメリカは第一次世界大戦や第二次世界大戦などで影響力を及ぼし、世界の警察と呼ばれる一大勢力圏を築き上げることになるのでした。
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