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古代イランで信仰された「ゾロアスター教」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』

ゾロアスター教の聖典は『アヴェスター』といいます。『アヴェスター』はゾロアスター教の神官たちによって口承で伝えられてきました。

ササン朝ペルシアがゾロアスター教を国教とした時、各地の教えが統合され正文をつくります。ササン朝の最盛期を現出したホスロー1の時代、『アヴェスター』の編纂が行われ、完成しました。

このとき、ゾロアスター教の教えは21巻にまとめられましたが、4分の1しか現存していません。現存する『アヴェスター』は、祭儀の際に唱えられる「ヤスナ」、神々への参加である「ヤシュト」、魔よけの書である「ウィーデーウ・ダート」の3つの部分のみです。

現在の国号である「イラン」は『アヴェスター』の中で使われていたもので、20世紀にパフレフィー朝が国号として採用しました。イラン人にとって、原点ともいえる書物の一つだといえるでしょう。

ゾロアスター教における善悪二神論

ゾロアスター教はアフラ・マズダを最高神とする一神教です。アフラ・マズダに敵対する暗黒の神アーリマンは絶えずアフラ・マズダと争いました。光の神であるアフラ・マズダと闇の神であるアーリマンの闘争によってさまざまな霊魂が生み出されたと説きます。

アフラ・マズダはゾロアスターに啓示を与え、ゾロアスター教を開かせました。ゾロアスター教において、火はアフラ・マズダの子であり、アフラ・マズダを象徴する神聖なものとして扱われます。ゾロアスター教徒は聖なる火を崇拝することから、ゾロアスター教のことを拝火教ともいいますね。

闇の神とされたアーリマンは、病気や悪、作物が実らない冬などをこの世に創造し、アフラ・マズダが作り出した世界の破壊をもくろみます。そのため、アフラ・マズダとアーリマンは常に戦いを繰り広げると考えられました。

他の宗教に大きな影響を与えた最後の審判

ゾロアスター教が生み出し、後世のユダヤ教・キリスト教に大きな影響を与えたと考えられるのが「最後の審判」です。光を司る善の神アフラ・マズダと闇を司る悪の神アーリマンの最終闘争が行われ、悪が滅びたのちに下されるのが最後の審判だとされました。

アーリマンが滅ぼされたのち、地上には世界の誕生以来の全ての死者が復活。そこに天彗星が降ってきて、復活した死者たちを飲み込むとされます。

良いことを行ったものは彗星に飲み込まれても痛みを感じないが、悪いことを行ったものは苦痛で泣き叫ぶとされました。

キリスト教では、全ての死者が復活する点では同じですが、イエスが永遠の命を与えるものと地獄に落ちるものを選別します。こうした最後の審判の考えはイスラム教にも受け継がれました。

現代のゾロアスター教

イランはイスラム教徒によって征服されました。ゾロアスター教徒はイスラム教に改宗するか、ジズヤを納めるか、徹底抗戦するかを択ばされます。多くのゾロアスター教徒はジズヤを納めることで信仰を守りました。その後、徐々にイランはイスラム化しゾロアスター教徒がイスラム教へ改宗します。

一方、ササン朝滅亡時にイラン方面に逃れたゾロアスター教徒もいました。彼らの子孫は現在でもインド西部でゾロアスター教の信仰を維持。

現在、ゾロアスター教の信者の数はイランで3~6万人、インドで7万人ほどと推定されます。特にインドのムンバイには、ゾロアスター教の中心地となりました。

インド随一の財閥であるタタ・グループはゾロアスター教を信じる人々である「パールシー」の出身です。

イラン南東部のヤズドに残るゾロアスター教の神殿

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イラン南東部に位置するヤズドにはゾロアスター教徒の神殿であるアーテシュガーフがあります。ヤズドの神殿の聖なる火は1500年間燃え続けており、信者たちは炎に向かって礼拝。光の神であるアフラ・マズダへの祈りを行っています。現在はイスラム一色に見えるイランですが、ヤズド神殿の聖なる火はゾロアスター教の古代からの信仰を今に受け継いでいますね。

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