幕末日本の歴史江戸時代

日本に西洋医学を広めた「シーボルト」の生涯をわかりやすく解説

シーボルトの娘・楠本イネの墓があるお寺:晧台寺

晧台寺(こうたいじ)は、長崎市内にある曹洞宗の寺院。長崎三大寺(皓台寺、本蓮寺、大音寺)のひとつで、長崎の発展に貢献した偉人たちが数多く眠っています。

長崎市の名所のひとつ「眼鏡橋」から、風頭山方面へ向かって上った斜面に建つ歴史ある名刹。長崎の坂道に慣れていない人にとっては少々キツめの石段を登っていった先にあります。

お参りにはかなりの脚力が必要ですが、苦労して登った分だけ、境内からの景観は格別。大仏殿には高さ3.4メートルの昆慮舎那仏坐像が安置されており、こちらをお目当てに訪れる観光客も多いです。

シーボルトの娘、楠本イネのお墓は、お寺の奥に広がる裏山に建てられています。

鎖国時代の日本の窓口となった人工島:出島

シーボルトが所属していたオランダ商館があった場所・出島。開国後は埋め立てなどの工事がたびたび行われ、日本の玄関口としての役割を終えてひっそりとしていました。

第二次世界大戦後、この出島を整備しようという動きが高まります。それから数十年、時間をかけてゆっくりと、長崎市を中心に出島復元のための調査が進められてきました。

21世紀に入ってから、一度は埋め立てられてしまった出島の扇型の輪郭を復元しようという動きが活発化。2017年には鎖国時代当時と同じ場所に橋が架けられ、島内建てられた復元建造物建も公開されるようになりました。

長崎の近代的な街並みの中に溶け込むように佇んでいる出島。決して広いとは言えないこじんまりとした島の中に建ち、多くのオランダ人が行き交う様子を想像するだけでも心が躍ります。

JR長崎駅から路面電車でおよそ5分。「出島」という停留所(電停)がありますので、すぐわかるはずです。

長崎と日本の風土を愛したドイツ医師・シーボルトの生涯を思う

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現代的な日本建築とレトロなヨーロッパ建造物が美しい街並みを織りなす長崎の町。医者として、植物学者としてこの町で暮らしていたシーボルトはどんな思いでこの風景を見ていたのでしょうか。時代に翻弄され苦しみながらも、日本の自然や風土を世界に広めていったシーボルト。長崎の町には、今もそんなシーボルトの思いが随所に残されています。

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