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明治時代と共に歩んだ大作家「夏目漱石」ってどんな人物?漱石の波乱万丈の人生を辿る

3-3博士号を辞退し「ただの夏目」として生きた漱石

漱石の勢いは収まらず、『吾輩は猫である』の執筆途中に、『坊ちゃん』を1週間で書き上げました。当時の漱石は、頭に浮かんだものを一気に小説に仕上げ、訂正はほぼ0といった具合でした。

「末は博士か大臣か」と謳われていたころ、44歳の漱石に国から博士号を与えると朗報が飛び込んだのです。でも、漱石は、博士としての名誉より、ただの夏目として生きて行きたいと、博士号を辞退してしまいました。もったいないですよね~。でも、その裏には、「権威によって評価されたくない」という、漱石なりのプライドがあったようです。

3-4漱石の最後の時

病気で命を失ったのは、子規だけではありません。実は、漱石は病弱だったのです。躁うつ病だけでなく、結核や糖尿病、腹膜炎など人生で大きな病気をいくつも患っています。漱石の死因は、長年苦しめられた胃潰瘍の悪化でした。

『明暗』の原稿の上に伏せていた漱石をお手伝いさんが見つけました。漱石が倒れたのは、亡くなる20日前のこと。最後は、妻や子供、芥川龍之介や寺田虎彦などの門下生(木曜会)に囲まれて、大正5(1916)年12月9日に49歳でこの世を去りました。

「ここに(胸)水をかけてくれ。死んだら困るから。」が、漱石の最後の言葉だったといわれています。49歳という短い人生は私たちにとっても残念なことですが、まだまだ小説を書きたかった漱石自身も心残りだったのではないしょうか。

ちょっと雑学

先ほど病弱だったことは少し触れましたが、帝国大学時代の漱石は実はスポーツマンだったんです。正岡子規に勧められてはじめた野球や水泳、テニスに乗馬などなど。特に器械体操は、誰もが認める名手だったとか。登山も大好きで富士山へは2度も頂上まで登っています。

夏目漱石は、たった10年で数々の名作を残した明治を代表する小説家

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明治時代に小説界に彗星のように現れた夏目漱石は、江戸時代に単純だった物語を、「人間たるもの」を追求する小説として大きく飛躍させた人物のひとりです。小説を作ったのは坪内逍遥ですが、漱石と森鴎外がいなければ、明治時代の小説はここまで伸びなかったといわれています。これを機に、漱石の人生を頭の片隅において、夏目作品を読み直してみてはいかがでしょう。

夏目漱石小説ランキング

第1位 こころ
第2位 坊ちゃん
第3位 三四郎
第4位 草枕
第5位 それから

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