日本の歴史明治

明治時代と共に歩んだ大作家「夏目漱石」ってどんな人物?漱石の波乱万丈の人生を辿る

ちょっと雑学

正岡子規が肺を患い実家に帰省した時、漱石はひとつの俳句を送っています。「帰ろうと 泣かずに笑へ ほととぎす」(結核を患ったことで故郷に帰ろうなんていわず、泣かないで笑ってくれよ)というもの。子規はホトトギスと意味で、ホトトギスは結核の象徴とされています。正岡子規は、結核にかかったことを受け入れ、自分のペンネームを「子規」とつけたようです。

2-2人生で最も不愉快な2年間だったロンドン留学

熊本の第五高等学校に赴任し、29歳で中根鏡子と見合い結婚をしました。子供も授かり束の間の家族愛を経験します。漱石が33歳の時に、文部省からロンドンへの留学を命じられました。渡英の途中に万博が行われていたパリに滞在しています。万博に興味を持った漱石は、週に3回も訪れたとか。もちろん、エッフェル塔からパリの景色も眺めたようです。

物価の高い英国では国から支給される留学費は少なく、大学に通うことはできませんでした。漱石は、週に1回だけ研究者の個人授業を受けましたが成果が上がらず内心焦っていました。そんなロンドン生活の後半に届いた、子規からの手紙は彼の死を思わせるものでした。残念ながら、帰国前に大親友の子規は亡くなっています。

孤独に苛まれ極貧生活を送りながら持ち前の根性で猛勉強した漱石は、精神を病んでしまいました。最終的には、「発狂」するほどのレベルで、症状は酷かったようです。様子を見に行った人が日本に電報を送り、日本からきた迎えの人に保護され帰国しました。後に、漱石は「余を駆って創作方面に向はし」と2年間のロンドンでの辛い日々は決して無駄ではなかったと語っています。

2-3帰国後も苦難が続く漱石の人生

36歳の漱石は、第一高等学校と東京帝国大学で英語教師として働きはじめます。でも、帝国大学で教えた英文法の授業は、レベルが高く論理的なもので学生からの評判は悪かったのです。それもそのはず、漱石の前任者は、ギリシャ生まれの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)でした。西洋生まれの彼の授業は、詩情に溢れており、学生たちに大人気だったのです。

そんな中、多くの若者に激震が走った新聞沙汰の大事件が起こりました。名家の子息で何の不自由もないと思われていた藤村操の「自殺」。彼は漱石の教え子で、2日前の授業での彼の態度を叱責していたのです。他の生徒から、彼が自殺したのは、「失恋したから」と聞かされるも、漱石は自身を攻めてしまいました。藤村は栃木県のいろは坂を上った先にある高さ97mの「華厳の滝」に身を投げており、この滝はその後学生たちの自殺の名所になってしまったようです。現在は、優美な滝として人気の観光地に、そんな過去があったなんて…。

3.精神を患うも小説家として活躍する漱石

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By 小川一真http://www.jiten.com/index.php?itemid=3598, パブリック・ドメイン, Link

精神を病んだ漱石ですが、神は見捨てていませんでした。25歳の時に子規の弟子として知っていた、高浜虚子と再会したのです。彼は、俳句雑誌「ホトトギス」の主宰でした。「ホトトギス」に、漱石の小説が掲載されると雑誌はバカ売れしました。

3-1小説家デビューのきっかけになった黒猫との出会い

帰国後の漱石の精神状態は、更に悪化しており深刻な状態でした。発狂して暴れ回り、妄想の症状もありました。妻は、自分のせいで精神状態が治らないのかと、一時別居したほどでした。医師に、「一生治る病気ではない」といわれ、病気なら仕方がないと元鞘(もとさや)に収まりました。精神を患った漱石は、自分を鍛えるため座禅をはじめたとか。

ある日、漱石の家に一匹の黒い猫が、頻繁に訪れるようになります。「黒い猫がいる家には、福が舞い込む」と、聞いた漱石は「おいてやれ!」といい飼うことになりました。『吾輩は猫である』の書き出し「吾輩は猫である。名前はまだない。」と同じく、この猫も生涯名前が付けられることはありませんでした。毎日のんびり好き勝手に暮らす猫を見ている内に、漱石の精神病も癒されたようです。

3-2小説家デビューで人生が一変する漱石

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By Bariston投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

黒猫との出会いから半年後に漱石が書いたのは、猫目線の長編小説『吾輩は猫である』でした。この小説は、虚子が手掛ける「ホトトギス」に連載され脚光を浴びています。精神病に苦しむ漱石の人生が一変した、華々しい小説家デビューでした。デビュー後の漱石の小説は、「今までにない面白い小説だ。」と、どの書店でも売り切れるほどの人気ぶり。新しい作品を書けば、その小説も評判を呼び売り切れるといった具合だったようです。

教師は自分に向いてないと悟っていた漱石は、帝国大学教授への誘いを断り、朝日新聞社の専属作家として入社しました。「ホトトギス」には、ロンドン時代精神を病んだ時、友人に勧められて乗った自転車の体験を『自転車日記』として書き下ろしています。

黒猫と暮らし、『吾輩は猫である』を書いた家は、現在愛知県犬山市の「明治村」に移築されているんです。縁側に鎮座する猫の置物と一緒に、思い出の写真を撮ってみてはいかがでしょう。

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