実権を握りながらも、寛大さを失わなかった長慶
長慶が実権を握ったとはいえ、将軍は健在でした。足利義輝は幕府の権威を取り戻そうと予てから考え続けていた人物でしたので、幾度となく長慶に戦を仕掛け、時には刺客を送り込むこともあったのです。細川晴元も同様でした。
ただ、松永久秀(まつながひさひで)など有能な家臣に恵まれた長慶はこれを撃退し、その一方で、将軍との和睦を模索しました。彼は、幕府の威光がまだ健在であること、そして完全に排除するよりは共存していく方が後々のためにもなると思っていたようです。
こうして、義輝との間に和睦が成立し、彼が京都に帰還すると、長慶は出迎えました。幾度となく対立し、父の仇でもあった晴元さえも、命を奪うことはありませんでした。不用意に敵をつくらず、収められるところは穏便に、寛大に済まそうとしたようですね。
このようなやり方で、長慶は実権を確固たるものにしていきました。将軍や管領などの肩書きはなく、あくまで彼らに従う立場を保ちながらも、影の実力者としての力を存分に発揮していったのです。
相次ぐ肉親の死、燃え尽きた長慶
ここからさらに勢力を広げていこうかという、破竹の快進撃を続けていた長慶でしたが、弟・十河一存の急死から徐々に雲行きが怪しくなってきます。その後も弟や嫡男が亡くなると、明らかに長慶は精神的に異常をきたし始め、最後に残った弟に自ら切腹を申し付けるなど、およそ今までの彼からは信じられないような行動を取り始めました。強大な権力を手にし、燃え尽きてしまったのでしょうか?長慶の晩年を見ていくことにしましょう。
弟たちや息子の相次ぐ死に衝撃を受ける
永禄4(1561)年、「鬼十河」と呼ばれてその武勇を恐れられていた弟・十河一存が急死しました。このことは長慶に敵対する勢力にとってはまさに朗報で、一存のいなくなった三好方に戦が仕掛けられる事態となったのです。しかもその戦では、別の弟・三好実休までもが討死を遂げてしまいました。
しかも、弟2人を失い、悲嘆に暮れる長慶に、さらに追い打ちをかけるような出来事が起こります。永禄6(1563)年、嫡男の義興(よしおき)が22歳の若さで亡くなってしまったのです。
期待していた息子の死は、長慶の精神に大きなダメージを与え、彼は徐々に精神的に不安定になっていきます。畿内を制し、事実上の三好政権を樹立した彼にとっては、達成感と同時にどこか燃え尽きたような感もあったと言われており、彼はだんだんと鬱状態に陥ってしまったのでした。
最後の良心・安宅冬康に死を申し付ける
最後に残った弟が、安宅冬康でした。彼は他の兄弟とは少し違い、穏やかな人柄だったと言われています。戦に明け暮れる長慶に鈴虫を贈り、「夏の虫でもちゃんと飼えば冬まで生きるのですから、人間ならばなおさらですよ」と、やんわりと兄をいさめたという逸話があるほどです。
そんな弟の言うことは受け入れていた長慶ですが、精神的におかしくなってからは、猜疑心の塊となってしまい、こっそりと吹き込まれた「冬康に謀反の疑い」という讒言を信じ込んでしまったのでした。
そして、なんと冬康に「切腹せよ」との命令を下してしまったのです。
病に倒れ、あっけない死を迎える…三好政権の瓦解
冬康は素直に切腹を受け入れて死んでいきました。その後、長慶は謀反の噂は嘘だったことを知り、深く後悔しましたが、時すでに遅し。長慶の周りには、頼もしかった弟たちは誰一人いなくなってしまったのです。
弟を死に追いやったことが最後の一撃となったのでしょうか。冬康を死なせたのと同じ年の永禄7(1564)年、長慶は病により亡くなりました。43歳でした。
長慶の跡を継いだのは、十河一存からもらい受けた養子・義継(よしつぐ)でした。しかし彼はまだ若く、長慶の重臣たちである「三好三人衆」と松永久秀に補佐されることとなりましたが、やがて義継は重臣たちの権力争いに巻き込まれ、歴史の渦に飲み込まれていきます。
松永久秀は後に梟雄と呼ばれ、織田信長を相手に堂々と渡り合った武将でしたが、十河一存の死に関わったとか、安宅冬康についての讒言を吹き込んだのは彼であるとか、様々な噂に事欠かない人物です。長慶の築いた三好政権は、あっさりと久秀と三好三人衆に乗っ取られ、はかなくも消えていくこととなってしまったのでした。
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剛腕で築いた三好政権だが、あまりに脆かった
真の天下人となるには、時に織田信長のように非情で、豊臣秀吉のようにしたたかでなければならなかったのかもしれません。29歳で天下人同然の立場となった長慶の才覚がずば抜けていたことは言わずもがなですが、彼を支えた弟たちの存在があまりに大きすぎたことが、彼らの続けざまの死からの政権の凋落ぶりから見てとれます。それでも、少年時代から自分の力で運命を切り開いてきた長慶のすごさは、おわかりいただけたでしょうか。