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豊臣家と徳川家の間に起こった戦国最後の戦い「大坂の陣」をわかりやすく解説

大坂城落城と戦国時代の終焉

こうして豊臣軍の主力部隊が壊滅したことを知ると徳川軍の部隊は我先にと大坂城に乱入。さらには豊臣方にも裏切り者が出たとされついに大坂城は炎に包まれることになります。秀吉が自身の栄華を極めた時期に建てられた大坂城はついに落城。淀殿と豊臣秀頼は燃え盛る大坂城の中、籾蔵の中で自害して果てました。

豊臣秀頼と淀殿が自害した後、秀頼の長男であった国松は8歳の時に六条河原にて処刑され、娘は鎌倉の東慶寺に尼として出家することを条件に助けら天寿を全うすることになります。こうして豊臣秀吉以来の栄華を誇った豊臣家は滅亡。

徳川家に仇なす家を完全に無くしたことによって1467年の応仁の乱から脈々と続いてきた戦国時代は完全に終焉。この年に元号が戦争が終焉したことを意味する『元和偃武』から元和と呼ばれるようになったように日本は江戸時代という形で250年の平和を享受することになったのでした。

大坂の陣は戦国時代の総決算だった

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こうして豊臣秀頼の次回によって豊臣家は滅亡。それと同時に150年間続いてきた戦国時代は終わり、本格的に泰平の世の中に変わっていくことになります。戦国時代最後の大戦になった大坂の陣。ここから日本は戦争の雰囲気はなくなり、新しい時代の幕が上がるのでした。

 

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