繰り返される結婚に翻弄される
浅井三姉妹の中で、いちばん最初に嫁いだのが江です。秀吉、もしくはいとこの織田信雄(おだのぶかつ)の斡旋により、同じくいとこに当たる佐治一成(さじかずなり)に嫁ぎました。しかし、たった一年で離縁となってしまいます。
夫・一成が小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦いで秀吉と敵対したため、戦後に追放されたためとも伝わっていますが、この辺りのことははっきりしていません。
ともあれ、離縁された江は、ほどなくして羽柴秀勝(はしばひでかつ)と再婚します。秀勝は秀吉の実の甥で、養子となっていました。彼との間には完子(さだこ)という娘をもうけますが、秀勝は文禄の役の陣中で病に倒れ、そのまま亡くなってしまいました。
ここまではある意味、姉の茶々よりもよほど波乱の人生ですよね。
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三度目の結婚相手は、後の将軍
一度目は離婚、二度目は死別という形で夫と別れざるを得なかった江。そして、三度目の結婚話が舞い込みます。相手は、徳川家康の息子・秀忠(ひでただ)でした。
7歳も年下の秀忠でしたが、割と真面目な気質だったようで、側室をたくさん持つようなことはありませんでした。この結婚生活でようやく江は安定した日々を送ることができるようになり、秀忠との間には二男五女が生まれています。豊臣秀頼の正室となった千姫や、後の将軍となる家光、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮・和子(まさこ)などがいますよ。ちなみに、将軍の正室(御台所/みだいどころ)として次の将軍を産んだのは、江戸幕府の歴史の中でも江だけなんです。
姉の嫁ぎ先と敵対することになる
ところが、やがて江の嫁いだ徳川家と、姉・茶々のいる豊臣家とが争うようになってしまいます。羽柴秀勝との間に生まれた完子を育ててもらった江としては、こんな事態にさぞかし心を痛めていたに違いありません。間に入ってくれた姉・初とはたびたび交流があったようですが、どうしてこんなことになってしまったのか…と思っていたことでしょうね。
時代の流れに逆らうことはできず、豊臣家は茶々と共に滅びますが、江は後に茶々と秀頼を弔っています。
そして、寛永3(1626)年、江は54年の生涯を閉じました。
織田信長の血を残し、娘たちの中には天皇家へと血筋をつないだ者たちがおり、江の血脈はなんと現在の皇室にまで続いているそうですよ。
これほど、「激動」という言葉が似合う姉妹は他にいない
浅井三姉妹それぞれの人生の過酷さをご紹介してきました。夫と仲睦まじく、子を成し、平穏な人生を送れた武家の女性は、当時には本当に数えるほどしかいなかったのです。しかし、浅井三姉妹は、与えられた人生の試練から逃げることなく、強く生き抜きました。それこそが、彼女たちの名前を今でも有名にしている理由なのだと思います。