クロード・モネ 『ラ・ジャポネーズ』で妻が着物を着た姿を描く
印象派の中でも有名な存在である、クロード・モネ(1840年〜1926年)。フランス・パリ生まれの画家です。モネの『ラ・ジャポネーズ』は、「これこそジャポニズム」というような、「ジャポニズムらしさ」が満載の作品……とされていますが、表現技法として日本美術の影響が見られるわけではなく、作中モチーフとしての日本趣味。ですので正確に言えば「ジャポネズリー」の作品と言えるでしょう。『ラ・ジャポネーズ』の中には、モネの妻カミーユ・ドンシューの姿が。カミーユは手に赤白青(フランスの国旗の色になってます)の扇子を持ち、着物を着てポーズを取っています。後ろの壁には日本的な模様の描かれたいくつもの団扇が飾られているのです。
モネは絵画においてだけでなく、私生活でも「日本趣味」があったそう。彼はなんと日本庭園風の庭を、自ら所有していました。ジヴェルニー村というパリ郊外にあるその庭には、睡蓮の浮かぶ池と日本風の橋があります。この池の風景をモネは、彼の作品の中でもかなり有名な『睡蓮』という作品に描きました。『睡蓮』は何枚も描かれた連作となっています。モネは日本風庭園を有するジヴェルニーのアトリエで、晩年を過ごしました。
「琳派」からインスピレーションを得たグスタフ・クリムト
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ここまで紹介した芸術家は、浮世絵を収集し、自らの作品のなかに取り入れていました。一方でオーストリアのグスタフ・クリムト(1862年〜1918年)は浮世絵からの影響もですが、「琳派」からの影響が随所にみられる画家です。「琳派」とは屏風などに描かれた、金箔や銀箔のきらきらが印象的な日本美術作品のことを指します。描かれるテーマは花や木、草花の自然物が多く、なかには人物画や山水(中国で生まれた絵画のジャンル。山や川などの景色を描く)なんてものも。構図は大胆なものが多く、今見ても斬新な印象を受けます。作者としては、尾形光琳や乾山が有名です。
クリムトの作品に目を向けてみると、琳派の作品と同様に金色の背景のものが目立ちます。たとえばクリムトの作品のなかでもっとも有名なもののひとつである『接吻』という絵画。絵のなかでは男と女が抱き合っており、彼女らが着るローブには四角や丸の装飾的紋様が描かれています。花畑と人物の後ろは金箔の背景となっていて、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しているのです。また、色彩だけでなく人物の構図についても日本画の影響が感じられるものとなっています。
美術分野だけじゃなく、文学・音楽にも影響をあたえた
日本文化の影響を受けたのは、絵画だけ。そんなことはありません。文学、さらには音楽の分野においても日本文化は海外に影響をあたえていたようです。まず文学者から例をあげると、シャーロックホームズシリーズでとっても有名なイギリスのアーサー・コナン・ドイル(1859年~1930年)は日本文化に詳しかったそう。1925年に発表された『高名な依頼人』のなかには、聖武天皇やその宝物庫「正倉院」についての描写があるのです。この「正倉院」、当時は日本でもあまり有名ではなかったようで、ドイルの日本に対する知識の深さがうかがえます。また、『悪の華』で有名な詩人シャルル=ピエール・ボードレールは、日本美術に凝っていたそうです。
音楽分野でのジャポニズムといえば、ジャコモ・プッチーニ(1858年~1924年)作曲の『蝶々夫人』というオペラの存在が大きいでしょう。プッチーニは実際日本人に会って話を聞いたり、日本音楽の楽譜を参考にしたりしながら、綿密に日本を勉強しつつ作曲をおこなっていたと言われています。1904年の初演では評判が振るわなかったものの、改訂後の上演では大成功となりました。『蝶々夫人』のほかに、ウィリアム・S・ギルバートとアーサー・サリヴァンによるオペレッタ『ミカド』(1885年初演)も日本をテーマにした作品としてヒットしています。
日本文化が世界を席巻していた
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100年以上前、日本文化が世界においてブームとなっていました。しかも、ブームだけでは終わらずにその表現技法はその後の美術作品などに影響をあたえつづけたのです。では、現在はどうでしょうか。国際交流が進み、さらに文化は世界中に伝わりやすくなりました。今では日本の「おたく」文化……アニメや漫画などが「クール・ジャパン」として世界では人気となっています。日本漫画の表現技法を取り入れる海外作品もあることでしょう。ある意味このブームも、新たな「ジャポニズム」または「ジャポネズリー」と呼べるものなのかもしれませんね。