小説・童話あらすじ

隠された意味とは……本当は怖くて切なくて悲しい「日本のわらべ歌」

お茶壺道中とは何?「ずいずいずっころばし」

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ちょっと変わった歌詞のわらべ歌「ずいずいずっころばし」についても考えてみましょう。

子供たちが遊ぶわらべ歌として知られていますが、もともとは「お茶壺道中」の歌ではなかったかとの説があります。

「お茶壺道中」とは、将軍家に献上するお茶を詰めた壺を運ぶ行列のこと。京都の宇治から江戸城まで運ぶ行列は権威あるもので、道行く人はみんな頭を下げなければなりませんでした。

万が一、行列の役人たちに目をつけられたら不届きもの扱いされて斬り捨てられてしまうかもしれません。

胡麻味噌をすっていたらお茶壺道中が来ると言われたので、慌ててぴしゃりと戸を閉めて、行列が通り過ぎるのを静かにやり過ごす……。静かにしているのでネズミの鳴き声まで聞こえてくる、という様子を歌ったものではないか、ということです。

ただ、女性が男性に追われて家の中に逃げ込んだ、不純異性行為を歌ったものではないか、との説も。大人たちの話の内容を盗み聞きして面白おかしく歌い始めた、ということなのでしょうか。

わらべ歌の歌詞の中には、子供たちには聞かせたくないような意味が含まれているものなのかもしれません。

「ずいずいずっころばし」の歌詞も、多少、地域によって異なるようです。いくつかあるパターンのうちからひとつ、歌詞を以下に掲載します。

【ずいずいずっころばし 歌詞】

ずいずいずっころばし ごまみそずい

茶壺に追われて どっぴんしゃん 抜けたら、どんどこしょ

俵のねずみが 米食ってちゅう ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも 行きっこなしよ

井戸のまわりで お茶碗割ったのだぁれ

針千本なんて飲めませんよ「ゆびきりげんまん」

強烈なインパクトの歌詞といえば「ゆびきりげんまん」を置いてほかにないでしょう。

誰かと約束をするとき、小指をお互いに引っ掛けあってからめ、上下に軽く振りながらこの歌を歌って、約束を守ることを誓い合うという、わらべ歌というより、老若男女問わず一般大衆に広まっていった歌。

げんまんとは「拳万」のこと。最初は「ゆびきり」だけだったものに、後から「針千本」「握りこぶしで一万回殴る」という恐ろしいフレーズが追加されたのでは、とも言われています。

パンパンに膨れてトゲトゲ状態の「ハリセンボン(魚)」を丸ごと食わせるぞ、という意味に解釈されることもあるそうですが、おそらくこれは後付けの後付けで、本来の意味は「針千本」でしょう。

どちらにしても、恐ろしい制裁です。

この歌に関しては、隠された意味も何もありません。いたってストレートに恐ろしいことが盛り込まれています。鎌倉時代や室町時代の武士の世界には、小指を落とすという刑罰が実際に存在していたのだそうです。

ただ、この歌には様々な俗説があり、吉原の遊女がモデルではないか、との説もあります。

遊女が、思いを寄せる客に対して、「あなただけは特別よ」という愛の証として指を切り落としていた、という言い伝えがもとになっているのでは、というのです。

本当かどうか定かではありませんが、指を切り落とすくらい本気なのよ、という意味を込めたものだとすると、切なくも恐ろしい歌に聞こえてきます。

【ゆびきりげんまん 歌詞】

ゆびきりげんまん うそついたら針千本飲ます

隠された意味は永遠に謎のまま……古くから伝わるわらべ歌の世界

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わらべ歌はどれも少ない単語からできているので、深読み使用と思えば歌の意味は何通りにもなります。でも、自分が子供のときどう感じたか考えると、歌詞の意味についてはそれほど深く考えずに歌っていました。それに「ちょっと残酷」くらいのほうが、普段使わない言葉がちりばめられている歌のほうが、今も昔も子供たちの興味をひいて記憶に残ったのかもしれません。「残酷なことは歌詞の中だけであってほしい」そんな思いが込められているのかもしれないとも感じました。

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