その他の国の歴史中東

4度に渡った「中東戦争」とは?経緯からその後までわかりやすく解説

わずか6日間の戦争

こうしてイスラエルがシリアに対して示威行動をしているとキャッチしたナセル大統領はイスラエルの海の窓口であったアカバ湾を閉鎖。イスラエルとの戦闘状態にはいります。しかし、第二次中東戦争で起こったことは第三次では起こることはありませんでした。港湾の閉鎖に大激怒したイスラエルはエジプト軍の航空基地を瞬く間に破壊。さらにはシナイ半島めがけて一気に攻め込み、パレスチナの地とシナイ半島のほとんどを手に入れました。

こうして第三次中東戦争はイスラエルの圧勝にて終結。エジプトはシナイ半島の領地を失ってしまうという被害を受けてしまったのです。

主役がエジプトからサウジアラビアへ

こうして第三次中東戦争はイスラエルの完全勝利に終わりましたが、この戦争によってエジプトの権威は失墜。そのかわり親米派のアラブ諸国であるサウジアラビアが台頭することになりました。また、これまではエジプトの指導のもとで成り立っていたパレスチナ解放機構もパレスチナ人自身が政治を行う形に変更。ここから先パレスチナはパレスチナに住んでいる人たちが独自に行動をとるようになるのでした。

第四次中東戦争

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こうして権威を失墜させてしまったエジプトですが、ナセル大統領の跡を継いだサタド大統領はシナイ半島の奪還に動き出します。この頃になるとアラブ諸国は世界に衝撃を与えるとある資源が大量に発掘されて第四次中東戦争はこれを使った戦争へと変貌を遂げることになるのです。

エジプト軍の奇襲攻撃

シナイ半島を失ってさらに、ナセル大統領が亡くなると代わりに大統領となったサタドはシナイ半島を奪還するために軍備増強を進めていくようになりました。

さらにアラブ諸国との関係も続々と強化。シリアなどの周辺諸国とともに1973年10月6日から攻撃を開始します。

元々第三次中東戦争で油断していたイスラエル軍はこの攻撃に耐えられることができず、次々と後退。しかし、イスラエルはアメリカやイギリスなどから支援をもらうことによってなんとか戦線を立て直し戦争は膠着状態となります。

しかし、アラブ諸国はこの時とんでもない秘策を用意していたのでした。

アラブ諸国による石油輸出制裁

この当時世界にとって石油という資源は必要不可欠であり、これがなければ軍事行動は出来ないどころか自国の産業にも影響を与えるほどでした。しかし、この時は石油はサウジアラビアなどのアラブ諸国がほとんどを生産しており、世界各国は石油を中東に依存する状態が続いていたのです。アラブ諸国はこの需要を見逃さずこれを使ってイスラエルの援助を止めようとしました。それこそがアラブ石油輸出国機構によるイスラエル支援国に対する石油輸出制裁でした。

この制裁によりイスラエルを支援している国は中東の石油を手に入れることができなくなり、また石油の価格も戦争が始まる前よりも4倍と設定しました。このことによりヨーロッパ諸国や日本は大混乱。特に安価な中東の石油を背景に経済成長を遂げていた日本にとったらまさしく衝撃的だったようでいわゆるオイルショックにより高度経済成長期は終わりを迎えることになりました。

このこともあり、アメリカはエジプトに譲歩した形で停戦を提案。開戦からおよそ1ヶ月で停戦となりました。

4度の中東戦争のその後

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こうして第四次中東戦争はエジプトに有利な形で終結しましたが、エジプトがこれ以上イスラエルに対して軍事行動を起こすことはありませんでした。この頃になるとエジプトは財政難に苦しめられることになり、またアメリカとの関係改善を図るためにはイスラエルとの宥和政策がどうしても必要不可欠なことを受けてイスラエルの国家承認を含めた和平交渉を開始。翌年にはエジプトとイスラエルの和平が成立したことによって中東の対立は解消されることになります。

しかし、これはパレスチナやアラブ原理主義者から見たら裏切りのほかありません。これを受けてアラブ原理主義者かサダト大統領を暗殺するという事件が発生。イスラエルとエジプトはこのような複雑な関係を経て今に至っているのです。

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