夫と死別してしまったら…
若いうちに嫁いだものの人は必ず老いていくもの。夫と死別した後の妻はどういう存在になったのでしょうか。おおむね2通りのパターンに分かれます。
一つは、亡くなった夫の菩提を弔うために出家して尼となるケース。家督を息子なり養子なりに相続させ、自分は表舞台からフェードアウトしていきます。しかし、家の危機など状況によって厳然たる権力を振るう場合もあり、今川家を救った尼御台ともいわれた寿桂尼などが有名ですね。
もう一つは、夫を若くして失くしたなどの理由により出家せずに再婚するというケースです。お市の方、江、千姫、おつやの方などが挙げられますね。
いずれにしても生半可なことでは生き残っていけない戦国の世。高貴な姫であり妻であったとしても、気丈でなければ家を守っていけないわけで、そういう意味では江戸時代の姫とは雲泥の差なのかも知れません。
姫たちの生活について
戦国の姫たちがどのような生活をしていたのか?現代の私たちとどう違っていたのか?今度は服装や食生活などの観点から紐解いていきたいと思います。
姫の着物は意外とシンプル
現在の豪華な振袖などと違い、戦国の頃には男女ともに小袖(こそで)が一般的でした。小袖とは、袖の開き口が小さく、そのぶん動きやすいので重宝されていました。大名の妻ともなると打掛を羽織ることもありましたが、基本的には無駄に重ね着せずに活動的なスタイルが好まれていたといえるでしょう。
そして寝所では単衣の染めていない小袖を着ていました。いわゆるパジャマですね。当時は綿がまだ一般的ではなかった時代なので、布団と呼べるものがなく、【夜着(よぎ)】という厚手の着物を掛布団代わりにして寝ていたそうです。
そして戦国の頃には、一般的な風呂という概念がなく、湯につかるのは【湯治】といわれるように病気の治療の一環でした。公家や裕福な武士の屋敷には蒸し風呂があったそうですから、もしかしたら姫もサウナ的なものに入っていたのかも知れませんね。
姫の食生活とはどんなもの?
滋賀県近江八幡市にある「信長の館」という資料館には、明智光秀が徳川家康を饗応したといわれる食膳が再現されています。豪華な膳ですが、そこから当時の戦国大名たちがどのようなものを食べていたのか?食生活が垣間見えてきますね。高級食材などあまり口にしなかったはずでしょうが、おそらく大切に育てられていた姫も同じようなものを食べていたのでしょう。
な(菜)汁
青菜を入れた、すめ味噌の汁。「みめみそ」とは味噌汁の上澄みを取った汁のこと。
やきとり
鳥といえばキジ。塩焼きか、クルミ酢をつけて焼いた。
ごぼう
室町中期以降、生産量が増加し、消費が増えた。煮ごぼう、酢ごぼうとして食した。
鴨の汁
カモの渡りシーズンは8月下旬から翌年2月下旬とされており、塩漬けされた肉が使用されたことも。
御飯(湯漬け)
御飯に湯をかけて食べ、菜(おかず)は香の物より食べる。
蒲鉾
魚のすり身を串につけて焼いた物。現在のちくわの形をしている。
当時は醤油や料理酒などの調味料がないため、塩、酢、すめ味噌などが用いられていました。肉類や魚類なども多く食されていたはずで、鴨やキジなどの鳥類が重宝されていたのです。早い話が戦国のジビエ料理といってもいいでしょう。
勇敢に戦った戦国の姫と妻たち
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政略結婚の道具とされる部分が多かった姫たち。しかしいざ家の危機となるや、苦難に果敢に立ち向かった姫や妻たちの姿も戦国にはありました。深謀遠慮があり、勇猛果敢で男勝り。そんな彼女らの姿を追ってみましょう。