- 『平家物語』とは
- 『平家物語』作者や琵琶法師
- 『平家物語』のあらすじ
- 『平家物語』でうたわれた平氏繁栄の背景
- 上皇や法皇による「院政」とは
- 白河法皇や鳥羽上皇と結びつき、平氏躍進のきっかけを作った平忠盛
- 平氏が築き上げた経済的基盤
- 保元の乱、平治の乱に勝利した平清盛の急成長
- 絶頂を迎える平清盛と後白河法皇の対立
- 平家の没落と『平家物語』に描かれた名場面
- 以仁王の令旨と諸国の反平氏勢力の蜂起
- 南都焼打と清盛の死
- 源義仲の入京と平氏の都落ち
- 源義経、鵯越(ひよどりごえ)を馳せ降り一の谷の戦いで平氏を破る
- 『平家物語』の名場面、那須与一が扇の的を射落とした屋島の戦い
- 安徳天皇が入水し、平家が滅んだ壇ノ浦の戦い
- 諸行無常・盛者必衰の物語は日本人の心に響き、後世まで語り継がれた
この記事の目次
『平家物語』とは
『平家物語』は、平氏の栄華と没落について盲目の僧である琵琶法師が琵琶を奏でつつ弾き語ったお話として知られています。一口に平家の栄華と没落といっても、『平家物語』は、巻物にすると全12巻もある大作。『平家物語』のあらすじと書かれた時代、形式などについてまとめます。
『平家物語』作者や琵琶法師
『平家物語』は、鎌倉時代に描かれた軍記物語というジャンルの物語。作者は不明ですが、信濃前司行長だとする『徒然草』の説が有力です。物語の舞台は平安時代末期に起きた源平争乱。のちに、治承寿永の乱とよばれた戦いです。
最初は3巻の物語でしたが次々と付け足され、現在は全12巻と灌頂巻を添えたものが有名。琵琶法師が『平家物語』を節をつけて語る「平曲」は『平家物語』の内容を叙情的に歌い上げたものです。
『平家物語』では仏教の考え方である諸行無常が強調されます。『平家物語』は、平家の栄華も盛者必衰の理から逃れられずに衰退していく様を仏教的無常観の視点から描きました。
『平家物語』のあらすじ
『平家物語』はおおむね4のパートで構成されます。最初は、清盛が平治の乱に勝利し後白河法皇のもとで出世していく様子と、次第に後白河法皇や側近たちと対立する様子。次は、清盛の息子であり清盛のストッパー役だった平重盛の死によって、清盛が後白河法皇の幽閉や福原遷都を強行する強引な清盛の姿を描く場面。
3つ目は、清盛の死と源氏の挙兵により、都落ちする平氏の姿を描く場面。最後は、義経など源氏によって平氏が追い詰められ、壇ノ浦の合戦で兵士が滅亡する場面。
物語で一貫して描かれるのは、栄華を極めた者でもいつかは滅ぶという無常観です。『平家物語』の冒頭分である「祇園精舎」で語られるように、「たけき者も、遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」という盛者必衰に世界観によって平氏の栄華が語られました。
『平家物語』でうたわれた平氏繁栄の背景
『平家物語』で平時忠は「この一門(平氏)にあらざらむ人は、みな人非人なるべし」といって、平氏でなければ人ではないと豪語しました。平氏は鳥羽上皇や後白河城上皇の院政と結びつくことで急成長します。さらに、瀬戸内海を抑えることで日宋貿易の利益を得てさらに強大化しました。平氏繁栄の背景についてまとめます。
上皇や法皇による「院政」とは
平安時代の後半、位を譲った元天皇である上皇や出家した上皇である法皇が、院庁を開いて行う政治を院政といいました。1086年に白河天皇が譲位して、上皇となって政治を行ったのが院政の始まりです。
院政は白河・鳥羽・後白河の3上皇に引き継がれました。上皇たちは、法にとらわれず自らの権力を行使する専制政治を実行。国の政治権力は陰に集中しました。そのため、それまで摂政や関白として力を持っていた藤原氏も上皇の権力に屈します。
上皇の信用を得られれば一気に出世することも可能となりました。白河上皇に引き立てられ、諸国の盗賊討伐などで名を挙げたのが院の軍事組織である北面の武士であった平正盛です。清盛の祖父である正盛は源義親の乱を鎮圧した功績で但馬守に任命されました。こうして、平氏繁栄の基礎が築かれます。
白河法皇や鳥羽上皇と結びつき、平氏躍進のきっかけを作った平忠盛
平忠盛も、正盛と同じく武士として出世します。忠盛は京都の治安維持を担当する検非違使となり、盗賊を捕まえた功績から従五位下に任じられました。白河法皇の信任を得た忠盛は越前守となるなど、院近臣として活躍します。
また、忠盛は山陽道や南海道の海賊追討使にも抜擢されるなど瀬戸内海にも勢力を伸ばしました。白河法皇の死後、鳥羽上皇からも信任された忠盛は順調に出世を続けます。
忠盛の出世をねたんだ者たちが、忠盛の暗殺をたくらむと、忠盛は革鞘つきの刀を差して暗殺者たちをけん制し難を逃れました。この時、忠盛は刀を差して宮中に入ったのは大きな罪だと訴えられましたが、革鞘の中身は銀箔を貼った木刀でした。鳥羽上皇は訴えられることまで想定した忠盛の機転を褒めたたえます。
平氏が築き上げた経済的基盤
院政を支えることで急成長を遂げた平氏。その経済的基盤はどのようなものだったのでしょうか。『平家物語』で平氏は日本全国の半数以上の国の国司(県知事や地方上級公務員)任命権をもつと書かれています。
加えて、無数の荘園を所有しているとも書かれ、平氏の屋敷の門前は客の馬車であふれたと描写されました。さらに「揚州の金、荊州の珠、呉郡の綾、蜀江の錦」などが屋敷にあふれていたといいます。これらは中国産の貴重品で、平氏が日宋貿易で手に入れた品々でした。
平清盛は大宰府や博多港の管理・運営の権限を持つ役職に任じられ、日宋貿易から多くの利益を得ます。また、宋の大型貿易船を畿内に引き入れるため現在の神戸市に大輪田泊を築港しました。平氏の経済力は、無数の荘園からあがる年貢と日宋貿易の利益によって生み出されたのです。