日本の歴史江戸時代

学校で習った「常識」はもう古い!?最新の研究による「江戸時代の真実」

新常識・超大金持ちの「水呑百姓」がいた

ところが、「水呑百姓」の中にはとんでもない大金持ちがいたということが近年の研究でわかりました。現在の石川県にある能登半島のとある農家は、「水呑」に属する百姓なのに、百両という大金を貸し出している資産家だったという資料が出てきたのです。これはどういうことかというと、この家は土地を持っていないので「水呑」と記録されているのですが、その実態は船を持って商売をしていて、大金を稼いでいたというわけなんですね。

「百姓」というと現代の我々はイコール農民と考えがちなんですが、実態はもっと幅広い人々を指す言葉だったんです。農村に住む商人や漁業をしていた人も百姓。また、農村には大工や鍛冶、畳屋や床屋なんかをする人も必要なわけで、そういう人たちも百姓だったわけですね。ただ、近代になると「百姓」という言葉には差別的なニュアンスがつくようになったので注意が必要です。

旧常識4・火事とケンカは江戸の華

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「江戸っ子」というと、粋で新しいものが好き、気が短くて熱い風呂が好き、「宵越しの金は持たねえ」というようなイメージがありますね。そして「火事とケンカは江戸の華」と言われるほど、火事やケンカがあると見物に駆け付けたと言われます。こういうイメージは後の作家が書いた物語や映画で作られた部分もあるでしょうが、当時の庶民の性格を反映しているのは確かでしょう。

ところで、問題は「火事」です。江戸って、そんなに火事の多い町だったんでしょうか。

新常識・幕府は火事対策に苦労していた

実際、江戸は「火災都市」と言われるほど火事が多かったのです。「明暦の大火」「明和の大火」は1万人以上の死者を出しており、江戸時代には数千人規模の死者が出た火事が何度か起きています。小規模な火事は数え切れないほどありました。江戸の中心である江戸城すら、本丸が焼けて現存しないほどです。

江戸の家屋は木と紙が材料だったため、よく燃えたんですね。急に人口が増えたため、家屋が密集していたことや、住むところがない人がたき火をしたこと、放火が多かったことも原因と言われています。また、関東地方は冬になると、乾燥した風が吹いて火がよく燃え移るというのも原因の一つです。現代でも、冬になると拍子木を鳴らして防火の見回りが行われていますが、これも江戸時代からの庶民の対策と言えるでしょう。

江戸っ子は火事見物で喜んだかもしれませんが、幕府は火災事件の対策にずっと頭を悩ませることになります。

「広小路」は火事対策で作られた

幕府は家が密集しないように、「広小路」という広い道路を作って火が燃え移らないようにしました。「上野広小路」も、江戸時代に火事対策で作られた大通りだったんです。また、時代劇でおなじみの大岡越前は1720年に「いろは四十八組」の町火消の制度を作りました。各組が華々しい活躍をして人気を集め、特に乱闘事件を起こした「め組」が有名でした。ドラマにもなった漫画『め組の大悟』のタイトルもここからきているんですね。

また、放火は厳しく取り締まられ、犯人はもちろん死刑。しかも火あぶりです。そこで「火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)」という組織が作られ、容赦ない取り調べで恐れられていました。特に後世で「鬼の平蔵」というあだ名をつけられた長谷川平蔵は特に有名で、ドラマになった池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』のモデルになった人物として知られています。

余談ですが、典型的な江戸っ子のことを「ちゃきちゃきの江戸っ子」と言いますよね。これは「血筋に混じりっ気がない、生粋の」という意味で、「嫡流(ちゃくりゅう/本家の血筋のこと)」を意味する「嫡嫡(ちゃくちゃく)」が変化した言葉なんだそうです。

旧常識5・江戸は遅れた前近代の都市

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「江戸」というと、みんなチョンマゲつけてるし、吉原みたいな遊郭はあるし、道路も舗装されてないし、ビルとかもないし、「遅れた前近代的な都市」というイメージがあるかもしれません。そして明治になると文明開化が進んで、「近代的な大都市・東京」が誕生したというのが、一般的な見方でしょうか。

でも、江戸は18世紀初頭には人口100万人だったとも言われ、当時の世界最大の都市でした。それだけの人口を抱えられるシステムが江戸にはできあがっていたんです。ここではその都市システムの一例として、江戸のリサイクル事情について見ていきましょう。

新常識・江戸はリサイクル都市

江戸は徹底したリサイクル社会でした。古着、古紙、木材の再利用は当たり前。ゲタの歯が減ったら付け替えたり、解けたロウソクを集めて再利用したり、割れた茶碗などを接着して再生するという仕事もありました。お店の名前が入っている提灯はさすがに再利用できないだろう、と思いきや紙を張り替えて書き直すという徹底ぶり。都市で問題になる下水の処理も、し尿を回収して農家に肥料として売るシステムができあがっていました。

しかし、どんなにリサイクルをしても生ゴミや貝殻など再利用のしようがないゴミは出てしまいます。幕府は増え続けるゴミを埋め立て地に利用することにしました。幕府が認可した「芥取(あくたとり)請負人」がゴミを回収して、永代島というところに運んで埋め立てるという処理をしたのです。埋め立ては現代に始まったことではなかったんですね。

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