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今さら聞けない靖国神社問題ー首相の参拝が問題視される理由を歴史から紐解くー

靖国問題の2大争点ー参拝は政教分離の原則に違反するのかー

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次に、2つ目の政教分離の問題について見ていきましょう。

小泉元首相が靖国神社を参拝した際には、政教分離の原則に反するとして訴訟問題となりました。
それは、公用車で訪れ、「内閣総理大臣」と記帳して献花代を収めて参拝したことが、公人という立場での参拝であると捉えられたからなんですね。

それでは政教分離と靖国神社の関係について、順を追ってみていきましょう。

政教分離の概念はヨーロッパ発祥のもの

そもそも政教分離とは何なのでしょうか。

政教分離とは、政治つまり国家と宗教を分離することです。この概念はヨーロッパで生まれたものなんですね。
ヨーロッパの宗教と言えばキリスト教が思い浮かびますが、中世ヨーロッパでは、このキリスト教会と政治権力が強固に結びついていたことは言うまでもありません。このような状況下では、国家が認めた特定の宗教・会派以外は認められず、迫害されていました。

この状況は、たびたびの宗教戦争を経て変わっていくこととなります。そして宗教の自由が認められることとなり、政治と宗教の分離の原則が広まることとなったんですね。立憲国家の憲法では、政教分離の原則が広く取り入れられています

日本国憲法においても政教分離の原則が適用されている

我が国の日本国憲法も同様ですね。第20条には、下記のように定められています。

『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』

つまり、私たち国民は信仰の自由が保障されており、国家は宗教活動をしません、特定の宗教に特権を与えませんということを規定しているんですね。
そんな当たり前のこと定めているのかと思うかもしれませんが、これらは私たち人類が、多くの反省とともに長い歴史の中で勝ち得てきた権利だということをぜひ覚えておいてほしいと思います。

日本古来の神道と国家神道

さて、話を戻しますと、戦前は国家神道という思想がありました。これは、明治政府が天皇中心の国づくりを行う際に作られた制度です。神道を国教化して、天皇の求心力を高めようとしたものなんですね。

もともと日本には古代から、自然、とりわけ山々に神が宿ると考えられてきました。自然信仰や民俗信仰を元として成り立って行ったのが神道であり、その神々を祀っているのが神社です。

ですから、日本にはさまざまな神様がいて、神無月と言われる10月には、島根県の縁結び神社として知られる出雲大社に、全国の八百万の神々が集まって会議をすると言われているんですね。

軍国主義下で政治的に利用された国家神道

神道は私たち日本人に、昔から根付いている思想と言えるかもしれません。この神道が国家神道として強化されたのは、第二次世界大戦下です。

軍国主義の高まりとともに、政府は天皇の神格化「現人神」としての思想を浸透させました。
こうして天皇崇拝、軍国主義国家が成り立っていくのです。神道は国民思想の統一のために、政治的に利用されたわけですね。

そして、この国家神道は、第二次世界大戦後にGHQにより解体されました。

一宗教法人としての靖国神社の公式参拝は政教分離に違反するのか

さて、靖国神社ですが、上記に述べてきた国家神道の最重要拠点としての性質を持っており、軍が管理していました。
国家神道の廃止とともに、神社と国家の分離が図られ、靖国神社の存続については上記の性質上さまざまな議論があったとされていますが、一宗教法人として現在に存続することとなったのです。

一宗教法人としての靖国神社を一国の首相が公式参拝するとなると、日本国憲法の政教分離の原則に抵触するとされるのですが、日本国のために戦った人々を追悼することは批判されることでもなく、だからこそこの議論は、解決されることなく未だに沸き起こるのですね。

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みほこ