日本の歴史明治

実は超がつくエリート「森鴎外」輝かしい生涯と作品をわかりやすく解説

舞姫

舞姫は1890年に執筆された小説で、太田豊太郎とエリスのロマンチックな内容となっており彼の初期の代表作となっています。しかし時代が時代ですので明治時代の文体そのままで現代の我々にとっては少々読みにくいのが難点です。

この頃の日本が目指していた富国強兵や家柄とエリスとの恋の間でもがき苦しむ太田豊太郎のモデルは森鴎外自身だとも言われており、ドイツで好きになった人を捨てなければならなくなった鴎外の苦悩をそのまま太田に反映されたとも言われているんだとか。

森鴎外といえばこの作品ともいわれており、今でも評価が高い作品となっています。

山椒大夫

鴎外は陸軍軍医の仕事が落ち着くと歴史に対して興味を持ち始め数々の歴史小説を残しました。その中でも代表作とされているのが平安時代の説話をもとにした山椒大夫でした。

山椒大夫というのは人買いの名前であり、この物語は彼に買われた子ども、姉の安寿と弟の厨子王を中心に繰り広げられることになります。

安寿は自分の身を犠牲にして、厨子王を逃がそうとするなど兄弟や親子のきずなが美しく書かれている感動的な話になっており、鴎外の文学がわかる本となっているのです。

高瀬舟

高瀬舟は流刑が言い渡された罪人を運ぶ船であり、主人公も弟を殺し流刑が言い渡された喜助となっています。

彼の態度があまりにも晴れやかであったため訳を聞いてみるとなんと弟は貧乏のどん底にいたためわざと殺したんだとか。

ぬけだせない貧困と身内の苦しみを見かねての殺人。現在でもたびたび問題になっているこの事態を鴎外は鋭く描写しており、現代を生きる私たちにも身近な社会問題を感じさせてくれる作品となっています。

森鴎外と脚気

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森鴎外は軍医総監となったり、文豪として華々しい活躍を見せましたがそんな彼の負の側面と言われているのが脚気に対する態度でした。脚気は今ではあまり聞かれなくなった病気ですが、この病気はビタミンB1不足により起こる病気です。30代以上の人であれば膝の下を叩いて足が跳ねるか見る検査があったと思いますけど、これは脚気にかかっていないかの検査ですね。

脚気はビタミンB1の欠乏によって起こる病気であり、玄米を食べずに白米だけを食べていた人が発症しやすいとして玄米をあまり食べない江戸の人に多くかかったことから江戸わずらいとも言われました。時代が下り明治時代となると、森鴎外が所属していた陸軍はドイツを模範とした近代化が図られていくことになりますが、軍隊を集めるために使われたのが白米が食べられるというものでした。

当時は農家の次男三男が主に軍に入隊していたため白米をあまり食べれることがなかった農民はこれに釣られる結果となってしまいます。結果的に白米しか食べなくなった陸軍では脚気が大流行。大して海軍は玄米中心であったため脚気は起こることはあまりありませんでした。

イギリスの結果を信じなかった鴎外

どうして海軍では脚気の患者を抑えることができたのかというとこの当時イギリスに留学していた海軍軍人がイギリスの戦艦ごとに脚気にかかっている人の割合が異なっていることに着目して食べ物を改善することで脚気を抑えられると信じていたから。海軍はタンパク質不足が脚気の原因だと判断しており、食事を玄米や洋食にすれば良いと結論づけたのです。

しかし、鴎外を含め陸軍ではこの食事改革による改善に対して否定的でした。

その理由に陸軍の模範とするドイツが『脚気細菌説』だったことと陸軍のメンツにかかわることがあったのです。そもそも「白米食べられるぞ!」でつっている最中なのにいきなり手のひらを返したらが陸軍のメンツは丸つぶれ。そのため洋食が脚気を改善するという事象が受け入れられなかったのです。

もちろん、軍医総監であっても彼が一概に悪いとは言い切れませんが、これによって日本陸軍は日清・日露戦争にて多数の脚気による死者を出してしまうことになってしまいました。

ちなみに脚気の直接の原因であるビタミンB1の欠如の件は鈴木梅太郎という人物が彼は脚気にかかった鳩に米糠を与えると症状が改善される事を突き止めて日露戦争から6年後の1910年に米糠から脚気に有効な成分の抽出に成功。

抽出した成分をオリザニンと命名し、これこそ現在のビタミンB1となったのです。

ちなみに、陸軍で細菌説ではなく栄養素不足によるものと公的に認められたのは、鴎外の死後から2年の1924年のことでした。

森鴎外は文学と軍の二つで活躍した

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森鴎外は文豪としてではなく、軍医総監としても日本に貢献する人生を歩んでいきました。確かに脚気問題ではしくじってしまいましたが、森鴎外の文学はいまだに色あせない名作として日本の文学史に刻まれることになっているのです。

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