室町時代戦国時代日本の歴史

最も古い建築様式を持つ「丸岡城」歴史・見どころを歴史系ライターが解説!

丸岡城の謎と、見どころスポットをご紹介!

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次に丸岡城に関して、長年謎だった天守の築造年代や、その姿などを解説していきましょう。また合わせて丸岡城の見所なども紹介していきますね。

丸岡城天守の築造は戦国時代?

日本最古の建築様式を伝える丸岡城の天守。その望楼型の形といい、野面積みの天守台といい、戦国時代に柴田氏が築城した当時のものだと考えられてきました。

しかし坂井市教育委員会の調査の結果、この説が覆ることになったのです。わざわざ調べない方が良かったかも知れませんね…

天守に使われている木材を年代測定した結果、築造は1620年代の江戸時代寛永の頃と判定されました。その時期はちょうと本多成重が丸岡城に入った頃と重なり、成重によって天守が築造されたことがわかったのです。

その結果、日本最古の天守というポジションは松本城へ明け渡す結果となりました。しかし古い形態を今に伝える建築様式は間違いないため、学術的にも貴重な存在だといえるでしょう。

また、現在の天守には立派な瓦が乗っていますが、当時は杮葺き(こけらぶき)という木の薄板を屋根に張っていたとされており、やはり雪の重みに対応した造りになっていたのでしょうか。

♯1丸岡城のココを見てほしい【石瓦】

全国のお城の中で唯一、石の瓦を使っているのは丸岡城天守だけです。その石は笏谷石(しゃくだにいし)といい、丸岡城から程近い足羽山から切り出された凝灰岩で、地元特有の石材となっています。

水に濡れると青みがかった色となるため「越前青石」「ふくいブルー」とも呼ばれ、かつては柴田勝家がこの石を切り出し、信長の元へ大量に送ったという記録もあるほど。

その性質は雪や寒さなどに強く、非常に対候性があって長持ちすることです。普通の土瓦なら寒さのために割れてしまうそう。

♯2丸岡城のココを見てほしい【天守台】

天守台とは、天守の土台のことで石垣を組んである部分のことですね。丸岡城の場合、天守台の大きさよりも建物の方が一回り小さくなっています。

これはなぜかというと、丸岡城の石垣は「野面積み」といって自然石を加工なしで組み上げたもの。そのため正四角形に組むのが難しく、どうしてもいびつな形になります。

そこで建物を一回り小さく造ることで誤差を少なくし、歪んだ天守台との隙間を木で囲んで、雨水が入らないようにしているのです。

♯3丸岡城のココを見てほしい【戦国時代さながらの天守内部】

天守へは急な石段を使って登ります。天守の外観は二層に見えますが、実は二層三階建てになっていて、内部は戦国時代さながらの戦いのための仕掛けがたくさん残っていますね。

一階の壁には、建物から張り出した場所(石落とし)があり、そこから石を落として敵を撃退できますし、壁面には狭間(さま)と呼ばれる小窓がたくさん。ここから鉄砲や弓を放って攻撃します。

また二階へ上がる階段は、ほぼ90度近いと思われるほどの傾斜が付いていて簡単には登れません。まるでハシゴのよう。

天守の最上階からは見晴らしも良好で、丸岡の町並みが見渡せますし、福井県下最大の坂井平野が一望のもとですよ。

♯4丸岡城のココを見てほしい【霞ヶ城公園】

丸岡城一帯は「霞ヶ城公園」として整備されており、「日本の歴史公園100選」「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

まるで天守を取り囲むかのようにソメイヨシノが植えられており、桜花の中に浮かび上がる丸岡城の幻想的な雰囲気を楽しむにはもってこい。また夜間にはライトアップもされますので、昼間とは違った雰囲気を味わえますね。

また市民憩いの場としても長年親しまれています。

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明石則実