日本の歴史江戸時代

浄瑠璃に革新をもたらした脚本家「近松門左衛門」と作品を元予備校講師がわかりやすく解説

「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」

1715年に大坂の竹本座で演じられた作品。明王朝の末期、台湾に逃れて清王朝に抵抗し「反清復明」運動を行った鄭成功をモデルにした作品です。

鄭成功は中国南部沿岸で抵抗を続ける明の皇族を奉じて清軍と戦いました。鄭成功は中国南部の拠点である南京の攻略を目指しますが失敗。台湾にわたり台湾を占領していたオランダ人を一掃。台湾を「反清復明」運動の拠点とします。

鄭成功に奉じられた明の皇族は鄭成功に「朱」という明の皇族の名字を与えたことから、鄭成功は国姓爺と呼ばれるようになりました。

物語の中で、鄭成功は南京を攻略し滅んだ明を再興します。史実とは異なるお話ですが、興行としては大成功。初演から17か月連続上演という記録を打ち立てました。

「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」

一般庶民の生活を題材とした世話物の傑作として知られるのが「心中天網島」。この作品は1720年10月に大坂の大長島で起きた心中事件を題材に、事件の2か月後に初演された作品です。登場人物は、紀伊国屋の遊女の小春と紙屋治兵衛、治兵衛の妻であるおさん、治兵衛の兄の孫右衛門など。

紀伊国屋の遊女小春と紙屋治兵衛は互いに心中を誓い合うほどの深い仲。周囲の人々は彼らが心中するのを阻止するとため、二人を別れさせようとします。特に妻のおさんは、治兵衛の命を救うため小春に心中を思いとどまるよう説得する手紙を出しました。

小春はその手紙を見て心中を思いとどまります。小春に裏切られたと思った治兵衛は嘆きつつ、小春と別れることを承知しました。

その後、他の男に身請けされそうになった小春が自分の命を絶とうとしていることを知り、おさんは小春を死なせては「女同士の義理」がたたないと考え、小春を身請けしようとします。

ところが、それを知ったおさんの父は実家におさんを連れ帰ってしまいました。妻を失い、小春を身請けする希望も無くなった治兵衛はおさんとともに心中してしまいます。

大きな社会的影響を及ぼした近松作品

image by PIXTA / 17447174

近松門左衛門の作品、中でも「心中物」は社会的な影響さえ与えました。男女が愛情を守り抜き自殺することを心中といいますが、実在の事件をもとにした近松門左衛門の作品があまりに見事でリアリティがあったため心中が美化されてしまったのです。これを懸念した幕府は心中物を軒並み上演禁止としてしまいました。すぐれた文学作品には、人の心を動かす力があります。近松の作品にも人々の心を大きく動かす力があったからこその影響ではないでしょうか。

1 2 3
Share: