曹洞宗の歴史
曹洞宗の歴史を知るためにはまずは道元禅師の生涯を追うことが大切。ここでは日本における曹洞宗の開祖となった道元禅師の生涯について解説していきたいと思います。
元々貴族だった道元
道元は1200年に内大臣であった源通親と、摂政と太政大臣であった藤原基房の娘の間に生まれたといわれています。
内大臣は左大臣と右大臣に次ぐ役職であり、太政大臣は本当に緊急の時にしか置かれない本当の意味でのトップの役職。さらに父方の家系を遡ると村上天皇、母方をたどると藤原道長に行きつくというまさしく名門中の名門の家系に生まれました。
しかし、道元が可哀想なのはこんないい家系であるのにもかかわらず、幼い頃に両親が亡くなってしまったこと。この時代の貴族にとって親が幼い頃に亡くなるということは成長した時にいい役職につくコネがないということであり、出世の道が絶たれたということになります。
その後道元は伯父であった藤原師家に引き取られることになりましたが、将来のことを悲観視した道元は自らの意思で出家する事を決意。
わずか13歳の時に天台宗の総本山であった比叡山延暦寺に出家して天台宗の修行に打ち込むことになりました。
こうして道元は修行僧としての暮らしを始めることになりしたが、修行を行なっていくうちに『一切の衆生はもともと仏である』というのがが天台宗の教えであるのにもかかわらず、どうして成仏するために修行を積まなければならないのかという思いが生まれていきます。
元々仏であるのですからこれはもっともな話です。
道元は悩みに悩み抜いて比叡山を降りることを決意。比叡山の麓にある園城寺(延暦寺に並ぶ天台宗の寺院)の僧侶であった公胤を訪ね、「どうしたら自分が納得できるのでしょうか?」と質問をしました。
公胤はその質問を聞くと道元に対して「そう思うのであれば日本ではなく、仏教の本場である中国に渡って直に禅宗を学ぶと良い」と言いました。
道元大陸に渡る
この公胤の解答を聞いて道元は大陸に渡って禅宗を学ぼうと決意。大陸に渡るためのツテを作るために臨済宗の大本山の一つであった建仁寺に入門。栄西の弟子であった明全の下で六年ほど修行を行い禅宗とはどんなものなのかということを学びます。(ちなみに、一部の曹洞宗では臨済宗の公案禅を取り入れているんだとか)そして1223年に道元明全の弟子として当時中国を治めていた宋へ渡り、この場所にて新しい仏教を学ぼうと心を改めて修行を行うのです。
しかし、宋における仏教の意識ら道元にとってはかなり衝撃的なことが多かったらしく、特に衝撃を与えたのはとある老僧との対話でした。
道元は宋に渡って修行することになったのですが、その老僧は道元が寧波にやってきた時に椎茸を買いにやってきたらしく、どうやらその老僧は典座(僧侶たちの食事を用意する人)をやっていると話しました。
その老僧は聞くところによると住職を行うほどの名僧だったそうですが、このことを聞くと道元には不思議でたまりません。
道元は老僧に対して
「なぜ貴方のような人が下働きをしているのですか?あなたが住職をしているのは立派なお寺だから食事係は他にもいっぱいいるはずです。なのに何故あなたのような人か雑務をやっているのか?」と質問しました。
この道元の問いに老僧は大きく笑いながら「君、修行とはどんなものなのかということをよくご存知ではない」と答えました。
聞いた時にははてなの文字が浮かびましたが、しばらく経っていくと老僧の言葉は本当はどういうものなのかということに気づき始めます。「そうだ、修行をしている身にとっては料理の支度をするということは雑用ではなく、これも立派な修行なのだ。それを軽視するからこそ料理の支度が雑用だと思ってしまい、修行の本質が見えないのだ」
この経験をした道元はこれまでの自分の修行はいかに古めかしいもので頭でっかちだったのかと思うようになり、修行というものの本質を新しく考え直した道元は自分がした経験を日本にも伝えようと奮闘することになるのでした。
日本へと帰国
こうして修行とはなんなのかということを痛感した道元は心を入れ直しておよそ四年に渡って各地の僧侶に学びんでいき、ついには悟りを開いたとされています。
その後期限がやってきて帰国することになった道元は日本に宋にて学んだことを日本に伝えるために帰国。
日本に戻ると再び建仁寺にとどまり、座禅の仕方や心得を「普勧坐禅儀」という書物に著して、禅こそが全ての修行の源流として日本における禅の普及に注力したのです。
その途中には比叡山による迫害もありましたが、最終的には親交のあった御家人である波多野義重によって越前に招待され、永平寺を開山。ここから800年曹洞宗の大本山として日本における禅宗の中心地として栄えることになったのでした。
曹洞宗は道元の思いが作り上げた宗派であった
曹洞宗は禅宗の一派とは知っている人はいるとは思いますが、実はただ禅を行うだけではなく生活全てを禅とみるそんな宗派でもありました。
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