芥川
芥川は女性を実家から連れ出す物語です。平安時代は現代に比べると、結婚するにあたって家柄や身分の壁が立ちはだかりやすい時代でした。「男」は、高貴な女性に何度も求婚していましたが、なかなか果たせません。
思い余った男は、その高貴な女性を連れ去ります。雷雨の中、暗闇の中を走って逃げる二人。道中の芥川というところまで来た時、女が「あれは何」と男に問いかけます。男は逃げることで精一杯でまともに答えませんでした。
夜が更けてきたので男は近くにあった荒れ果てた蔵に女を押し込み、自分は弓矢で武装して扉の前に立ちます。しばらくすると、女が「あれえ」という声を上げましたが、雷の音にかき消されて男は気づきませんでした。
翌朝、女が鬼に食べられたことを知り男は悔しがります。女は食べられたのではなく、家族によって連れ戻されたのかもしれませんね。いずれにせよ、男は二度と女と会うことはなかったでしょう。この女性は女御になる前の二条后だったともいわれていますね。
東下り
東というのは文字通り、東にある国々。今でいう東海・関東などの地域のことです。都から地方に行くことを下るといいます。つまり、この話は都から東海・関東に行った男の物語。
男は「自分なんか、いても意味がない」などと思い込んで京の都から東の国へと向かいました。東へ東へと向かうと、現在の愛知県東部にあたる三河国の八橋というところにたどり着きます。
この時、男は一人ではなく一緒に同行する人もいました。男と仲間たちは八橋の川のほとりの木陰で馬を降り、一服つきながら乾飯を食べます。この時、一行の一人が「かきつばた」の花を見て、「かきつばたの5字を和歌の句の頭に置いて旅の気持ちを詠め」と男に言いました。
男は「からころも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」と詠みます。
「いつも着ている唐ころものように、慣れ親しんだ妻を京に残してはるばる旅をしましたが、わびしいなとしみじみ思ってしまいます」という意味ですね。これを聞いて、同行していた人は、京都を懐かしみ涙をこぼしました。
狩りの勅使
昔、「男」は、天皇の命令で伊勢神宮に狩りの勅使として派遣されました。伊勢神宮には朝廷から派遣された斎宮とよばれる女性がいます。斎宮とは、伊勢神宮の祭祀をおこなう未婚の皇室女性のこと。
その斎宮のもとに、京都にいる親から手紙が来て、派遣される勅使の方を丁重にもてなすようにと記されていました。斎宮は親の言いつけ通りに丁重にもてなします。男は斎宮のもてなしにほれ込んでしまい、しきりに斎宮に会いたがりました。
さすがに、神に仕える身で恋愛はまずいと思った斎宮は絶対に逢わないと心に決めます。しかし、男はどうしても会いたいと夜も眠れずにいました。
夜中の11時ころ、斎宮は男の寝所までやってきました。どういうわけか、斎宮は何も語らずただ寝所にいるだけ。ついに、斎宮は帰ってしまいました。その後、男は斎宮と会うことはできなかったといいます。
『伊勢物語』の最終話
さて、今までいくつか『伊勢物語』の話を紹介してきましたが、『伊勢物語』の最終段の内容をご存知ですか。『伊勢物語』の最終段はわずか二行なんです。
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、(以下、和歌) つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを。
これだけなんですよ。昔、男が病気になって今にも死にそうに思えたので、(歌を詠んだ)。「最後には、通っていく道だとはかねてから聞いていましたが、昨日・今日にも死んでしまうとは思わなかったなぁ」という内容です。
確かに、自分自身がいつ死ぬかということはわからないものですよね。だからこそ、いつかは自分も死ぬとわかっていても実感を持てないのでしょう。「昨日今日とは思わなかった」という句は、まさにその通りだと思いますね。
古典はそんなに難しいものではない
受験勉強のせいか、古典に苦手意識を持っている人はとても多いなと個人的に思います。特に、和歌の解釈は難しく感じるでしょう。しかし、現代語訳された文章や、マンガになった古典作品は読みやすいと思います。受験ではないので、古典文法に必要以上にとらわれることもないでしょう。自分にとって取り組みやすい方法で古典作品に触れてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。