複数の時代が混在する複合遺跡「板付遺跡」(福岡県)
板付遺跡(いたづけいせき)は、福岡市博多区にある縄文時代末期から弥生時代にかけての遺跡。敷地内には竪穴式住居の他に水田も再現されており、縄文時代から弥生時代にかけての変遷を知ることができる重要な遺跡としても知られています。
場所は博多の中心部から南東部へ内陸に進んだところ。河川に囲まれた小高い丘の上に位置しています。長い期間、人々の営みがあったと考えられており、旧石器時代の石器や縄文時代の土器、弥生時代の水田跡など、様々な時代区分の遺構が次々と出土しているのです。
縄文時代の遺跡としても知られていますが、中心はやはり弥生時代。弥生時代の遺跡は九州地方でもたくさん見つかっていますが、板付遺跡はその中でも非常に古い時代のものです。日本の稲作がいつ頃から始まったのか、解明の手がかりがあるのではと期待が寄せられています。
世界最大規模の貝塚「加曽利貝塚」(千葉県千葉市)
加曽利貝塚(かそりかいづか)は千葉県千葉市にある縄文時代の貝塚です。
千葉市は市内に120箇所以上も貝塚があるという、知る人ぞ知る遺跡王国。加曽利貝塚はその中でも最も規模が大きく、日本国内だけでなく世界的にも注目されている貝塚なのです。
この地に縄文時代の人々が住み始めたのは、7000年ほど前からだと考えられています。それからおよそ5000年ほどの間、この地で多くの人々が暮らしていたと見られているのだそうです。
加曽利貝塚は、直径130mほどの北貝塚と、170mほどのやや楕円形の南貝塚がくっついて、8の字形を形成している非常に珍しい貝塚。貝塚というと貝殻が摘んである光景を思い浮かべがちですが、こちらの貝塚は規模が桁違いです。
現在は加曽利貝塚公園として管理されており、出土品を展示した博物館や、縄文時代の植生を再現したエリアなど、様々な角度から先史の人々の暮らしぶりを見ることができるようになっています。
アツイぞ縄文時代!先史の人々から現代社会を生き抜く術を学ぶ
縄文時代の遺跡や出土品、どれも似たようなものと思ったら大間違いで、見比べてみると様々な違いがわかって見応えがあります。身分の差が無かったということで、暮らしやすい時代だったのではとの見解も多いですが、狩猟や野生の植物だけで生き抜くのは、厳しかったはず。集団生活で助け合う生活は安心ですが、一方で格差を生むことにもつながる。現代社会にも通じるものがあると改めて感じました。日本全国各地域で、今、縄文時代の遺跡発掘は盛んに行われています。お住まいの近くにも縄文時代の人々の暮らしの痕跡があったら、是非お出かけになってみてください。
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