日本の歴史江戸時代

宮本武蔵を恐怖の底に陥れた巌流島での決闘の真実とは

宮本武蔵は何故真剣を持たなかったか?

宮本武蔵は佐々木小次郎に勝利する理由が仕官の夢を叶えることであり、小次郎に対しての敵意はなかったため、小次郎の命までは取ろうと思っていませんでした。そしてそれ以上に真剣を持たなかった理由として、小倉藩の方から真剣を持つことを禁じられていたからです。表向きの理由は何であれ、結果として武蔵は決闘の条件として、小倉藩から木剣で討ち果たすことを求められていました。小倉藩としては、小次郎の刀が1メートルの刀身からなるのに対して、小次郎の刀より40センチも長い木剣で有利にことを運ぶことを武蔵に求めたのでしょう。

小次郎を倒した直後の武蔵の判断が生還につながった

宮本武蔵が佐々木小次郎を一刀の元気絶させ、倒れた小次郎の元へ大勢の藩士が駆け寄りました。武蔵は一瞬、「藩士たちが小次郎の介抱に向かった」と思いその様子を見ていましたが、状況が少し異様であることを感じ取ったのです。それは藩士たちの眼差しでした。彼らの目には介抱の意思どころか殺意に満ち溢れていたのです。そこで武蔵は悟りました。このまま自分も突っ立っていては、口封じのために殺される、自分が手にしているのが木剣であるのはそのためだったのだと。兵法家として数々の試練を乗り越えてきた武蔵は、小次郎が取り囲まれている間に、急いで小舟を出して沖に出ます。口封じに失敗したとわかった藩士たちは小次郎を撲殺した後、武蔵を追いかけますが、既に武蔵の行動が早く、巌流島を後にしたのでした。

宮本武蔵とっての巌流島とは自身のサバイバルだった

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宮本武蔵にとって巌流島の戦いは、佐々木小次郎との果たし合いではなく、小倉藩による小次郎の処分の肩代わりであり、またいかに口封じの危険から身を避けるかといった、武蔵自身の生き残りがかかったものだったのです。物事に直面する前には全くわからなかった意外な展開にどう対処するかといった処世術を得る上で武蔵の生き方は現代のお手本となるでしょう。

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