室町時代戦国時代日本の歴史

信長らがおこなった経済政策「楽市・楽座」をもっと理解する4つのポイント!

「楽市・楽座(らくいち・らくざ)」。歴史の授業で習い、その響きのよさからなんとなく覚えている方も多いのではないでしょうか。今回は戦国時代の経済政策である「楽市・楽座」について、その具体的な内容を4つのポイントに沿って解説していきます。

規制をゆるく!楽市・楽座

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楽市・楽座という政策がおこなわれたのは、戦国時代(15世紀末~16世紀末)の後期。安土桃山時代(1573年〜1603年)とも呼ばれ、織田信長や豊臣秀吉が政権を握った時代です。大河ドラマでもしばしば題材とされるおなじみの時代ですよね。「楽」という漢字が入っていて楽しそうな雰囲気の楽市・楽座。規制を緩和し、商業の発展をねらった法令のことをあらわしています。

ポイント1 「市」と「座」って何?

言葉通りにとらえると「市」「座」が「楽」になる楽市・楽座。そもそも「市」と「座」って何でしょうか?「市」は座よりも分かりやすいかもしれません。今でも「市場」という言葉があるように、物資の売り買い、交換をする場所のことです。元々、貨幣が存在しなかったころは物々交換の場としてはじまりました。現在でも四日市、など市のつく地名がありますが、これは市が開かれた場所であったことをあらわしています。

一方の「座」。こちらは現在ではあまりなじみのない言葉ですね。市が場所をあらわすのに対し、「座」は商人の集団のことを指しています。この集団=組合に属し、寺社や公家などにお金を払うことで販売の独占権などのさまざまな特権を得ることができたのです。今の言葉では、「カルテル」が当てはまるでしょう。現在の法律ではカルテルを不当な取引制限として禁じています。

ポイント2 なぜ市と座を自由にしなければいけなかったか

座は商品ごとに組織され、その座に所属しない商人は自由な販売ができない状態にありました。室町時代になると、これに対抗し新たな座を結成する商人たちが出てきます。そして元々あった座と新座の間で競争も起こりました。

座は経済的利益を独占。国家権力でさえ、手の届かない特権を手にしていました。戦国大名である領主たちは、自らの支配を絶対的なものにするため、また領地の発展のために楽市・楽座の令を発したのです。この令によって座による独占権は否定されます。こうして、商人たちは市に自由に出入り・営業ができるようになりました。さらに減税の政策もおこなわれ、領地である城下町はにぎわうようになったのです。簡単に言うと、楽市が「税の免除」楽座が「座の撤廃」という意味を持っています。

ポイント3 楽市・楽座をはじめて施行したのは誰?

楽市・楽座は、織田信長の政策というイメージが強いですよね。しかし楽市・楽座は、近江国(現在の滋賀県)の守護であった六角定頼(ろっかくさだより)が1549年(天文18年)に施行したのがはじめてであったとされています。定頼は自らの居城の城下町・石寺の市に楽市令を出したそうです。また、今川氏真(いまがわうじざね)が富士大宮に出した楽市令も初期のものとされています。この定頼や氏真による楽市令が、信長の楽市・楽座にも影響をあたえたと考えられているのです。

ただ、現在の時点で法令としてきちんと確認ができる楽市・楽座を最初に発布したのは信長。1577年(天正5年)、近江国安土城下に発布されたものが有名です。信長は自らの領土のみならず、支配がおよぶ諸国の大名にも実施を命じました。秀吉もこの信長の政策を引き継いでおこなっています。

ポイント4 良いことばかりじゃなかった?!楽市・楽座のデメリットとは

楽市・楽座は規制や税金が緩み、城下町も栄えて良いことばかりに思えますよね。しかし実は、デメリットも存在したのです。そのデメリットとは、闇市場における抜け荷商品の増加。正規ルートではない商品が増えてしまったのです。

そして、もう一つのデメリットがありました。それは領主自身が特定商人と手を結び、御用商人化すること。これにより、御用商人によって座の市場支配と実質的に変わらないことができてしまう場合もあったようです。楽市・楽座は規制緩和政策としての一面を持ちながら、権力者(当時であれば大名)による商業統制のはじまりでもあったとも言われています。

まとめ


・「市」は物の売買など商業活動をする場所のこと、「座」は商人による集団のこと


・楽市・楽座は商業に関する規制緩和(税免除)、座の特権撤廃を計った政策


・大名が城下町発展を目的としておこなった


・楽市・楽座の令をはじめて出したのは近江国守護の六角定頼と言われている


・権力者による商業統制の一面も持っていた?

ほかにも数多くの政策がおこなわれた

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By 三井文庫蔵 – http://www.pauch.com/kss/g007.html, パブリック・ドメイン, Link

安土桃山時代における経済政策はほかにもあります。たとえば信長による1568年の「関所の廃止」がその一つ(これも信長以前におこなった大名はいたようです)。関所を通るときには通行料がかかっていましたが、廃止によって物流にかかるお金が減少。商業の発展に寄与しました。撰銭令(えりぜにれい)や検地などの政策も有名です。これらの政策が自らの権力の強化を目的としていたことも事実ではありますが、商人や庶民に少なからず良い影響を与えたのもまた事実。信長は庶民からの人気も高かったとも言われています。商業の発展によってにぎわう市場が、目の前に浮かんでくるようですね。

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