ドイツプロセイン王国ヨーロッパの歴史

ドイツを統一した「ビスマルク」の生涯・業績をわかりやすく解説

卓越した外交力によるビスマルク体制

こうしてビスマルクはドイツ統一の立役者となったのですが、ビスマルクが次に取り組んだのはドイツを守るための外交戦略でした。

たしかに、フランスは普仏戦争にてボコボコにしたのですが、もし再び力をつけてドイツにリベンジを挑んできたらたまったもんじゃありません。そのためビスマルクはフランスを孤立させ、再びドイツ帝国との戦争を起こさせないように徹底した外交政策を展開していました。その中でも特に有名なのが、のちに第一次世界大戦において同盟国として協力することになる三国同盟とオーストリアやロシアとの三帝同盟この同盟によってヨーロッパ大陸の連帯化がなされて普仏戦争以降第一次世界大戦まではヨーロッパ大陸において大国同士が争うことはありませんでした。

さらに彼の業績であり、世界にとっては黒歴史な出来事としてアフリカ分割を決めたベルリン会議というものが行われました。

この頃アフリカ大陸は文明開化していなくヨーロッパ諸国からは暗黒大陸と揶揄されていたよくわからない謎の大陸でしたが、19世紀に入るとこの大陸に大量の資源が眠っているとしてヨーロッパの列強たちがこぞって領土を獲得するという現象が起こり、その利権を巡ってイギリスとフランスがファショダ事件という一歩間違えれば戦争に突入してもおかしくなかった事もあったのです。そうなると登場するのがビスマルク。ビスマルクは優れた外交能力をフルに使用しドイツ帝国のベルリンにて会議を開催。アフリカの利権を相談して領土を確定しました。

このベルリン会議にてアフリカはエチオピア・リベリアを除いて全部ヨーロッパの植民地に。戦争は起こらなかったものの、原住民の生活に暗雲が漂う結果となってしまったのです。

兎にも角にもビスマルクはこのように優れた外交能力にてとにかくヨーロッパの列強同士が戦争するのを防いだのでした。

ビスマルクは美食家だった!?

ここまで見てきてビスマルクという政治家はなんか冷酷な感じがしていますが、実はかなりのグルメ。特にフランス・ブルゴーニュ産のワインは彼一番のお気に入りだったそうです。

「ちょっと待って!ビスマルクってフランスを孤立させたりするぐらい敵対していたんじゃないの!?」と思うかもしれませんがご安心ください。これと同じ質問を皇帝がしたのに対して彼は「畏れながら陛下。愛国心と舌は別物でございます」なんだとか。つまりいいものを食べるのに国は選ばないということなんですね。

さらにビスマルクはワインだけではなく牡蠣とたまごが大好物だったようで彼の自慢話の一つに「牡蠣を一回の食事で175個を完食した」とか「一回の食事でたまごを15個食べた」とかが残されているなどかなりの大食いでした。今でもピザに卵を乗せたものをビスマルク風ピザを呼んだりもしていますが、これはたまごが大好物だったビスマルクにあやかってつけたということなんですよ。

そのためビスマルクは肖像画では見られないけれども一時期は123キロあり、病院からはドクターストップがかかっていたんだとか。いいものを食べるのもほどほどに。

ビスマルクはドイツの偉大な政治家だった

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ビスマルクはこのような巧みな政治によってたった一代でドイツを統一してドイツの国際的な地位を向上させました。ビスマルクの政治的な考え方は今の日本の政治家にも見習ってほしいものですね。

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