世界四大文明とは何?その他の古代文明も含めてまるっと解説!
マヤ文明
古代文明はアメリカ大陸にも存在していました。メキシコ南東部にあったとされるマヤ文明もそのひとつです。マヤ文明は紀元前から紀元後16世紀頃まで続いた文明で、大航海時代に入りスペインが侵入してくるまで独自の文化を育んでいました。
この地域にも先史時代から、土器を作る技術を持つ先住民たちが数多く暮らしていました。それが紀元前2000年~1000年頃になると土器を作る技術が向上し、都市が作られ、文明が急速に成長を遂げたと見られています。
紀元前4世紀頃には巨大な都市が形成されるようになり、紀元後3世紀頃までの間に神殿や市場などを持ち綿密に整備された都市国家を確立。宗教的な儀式を行う祭壇やピラミッドなども数多く建設されています。独自の象形文字や暦、天文学などが発達し、身分の違いもはっきりしていたようです。
マヤ文明は中世・近代まで続いた文明ということもあり、中米ユカタン半島を中心とした広い範囲に数多くの遺跡が残されています。中でもグアテマラにあるティカル国立公園には、巨大なピラミッドや神殿が数多く残されており、1979年、世界遺産にも認定されました。
その頃日本では?
「文明(civilization)」とは、「人間が生み出した高度で複雑な文化」であり「法律や秩序が存在する国家」であり「人々が精神的・物質的に豊かになった状態」を示した言葉です。
解釈は様々ありますが、石器や土器を作り農耕を行っていた時代を経て、学問や技術が発達し都市が形成されていくと「文明」と表現されるようになります。いつ頃、どの時代を「文明」と見なすか、見解が分かれるところでもあるのです。先史時代より人類の痕跡は、エジプトや古代オリエント(中東地域)、中国以外の地域にもたくさん見つかっており、その多くはまだ、研究過程にあります。
では、世界四大文明が栄えた頃、日本はどんな様子だったのでしょうか。
日本でも、旧石器時代のものと思われる石器がいくつか発見されています。1万年ほど前からいわゆる「縄文時代」という時代が始まったと考えられており、人々は竪穴式の住居を作って木の実や貝類を食べて暮らしていました。青森県ではおよそ5000年前のものとみられる巨大な集落跡(三内丸山遺跡)が見つかっています。
3000年ほど前には稲作が始まり、1か所に定住する生活が確立。紀元前5世紀頃には各地に水稲栽培が広まり、静岡県の登呂遺跡や佐賀県の吉野ケ里遺跡に見られるような大きな集落を築いて、集落も「くに」と呼ばれるようになります。2世紀頃には、女王卑弥呼を中心とした邪馬台国があったとされていますが、場所をはじめ、まだ全容は明らかになっていません。
古代文明は他にもあるけど「世界四大文明」はやっぱりすごい!
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近年では空撮・衛星写真や質量分析などの技術の導入により、20世紀よりずっと、古代遺跡の発掘調査は進んでいます。「世界四大文明」他の地域の発掘調査も鋭意進められていますが、それでもやはり「世界四大文明」の存在は大きいです。ただ、日本のように先史時代からずっと、同じ場所に暮らし続けている地域では、古代の遺構の調査が難しいという現状も。もしかしたら私たちの足元に、日本に高度な文明があった痕跡が今も眠っているのかも……しれません。