幕府の滅亡
後醍醐天皇は隠岐に流されたものの、幕府の倒幕を諦めることはなく、隠岐の地にて倒幕の綸旨(命令文書)を発布します。
この綸旨を受けて1332年悪党となっていた楠木正成が挙兵。千早城において8万の北条のは討伐軍を追い返し勝利します。この勝利に呼応したように京都では赤松円心と足利高氏が挙兵。京都における幕府の出先機関であった六波羅探題を攻め落とし西国を支配します。さらに六波羅探題が落とされた翌日には新田義貞が挙兵。分倍河原の戦いで北条軍に勝利し、稲村ヶ崎を突破。鎌倉に攻め入って「もはやこれまで」と北条高時始め北条一族は東勝寺で自害。鎌倉幕府は滅亡してしまいました。
日本のその後と鎌倉幕府の意義
いい国作ろうと頑張った鎌倉幕府は成立から149年で崩壊してしまいましたが、鎌倉幕府が与えた影響は強くこれから続く武士の世界を築き上げました。鎌倉幕府の滅亡後は後醍醐天皇による建武の新政がスタートしましたが、その無理やりすぎる政策や足利尊氏による謀反によって3年で崩壊。日本は室町時代へと動き出すようになります。
日本初の幕府。それは日本の武士の指標であり、幕府の基本だったのかもしれませんね。
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