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ノーベル賞の起源とは~ノーベル賞を創設した男の人生は矛盾だらけ!?~

安全な爆薬を求めて

たて続いた爆発事故の賠償で無一文の上に、父イマヌエルは息子の死のショックで倒れてしまい、ノーベルは「油状爆薬をもう忘れたほうがいいのか」と悩みます。しかし、鉱山の開発や鉄道工事を進めるには、爆薬はもはや必要不可欠でした。ここで開発を諦めれば、技術の進歩は遅れてしまう、それは死んだエミールも望んでいない、ノーベルは悩みながらも爆薬づくりを続けました。工場を建てる場所を制限されたときは、湖に浮かぶ船の上で開発をしたこともありました。

油状爆薬の問題が「液体」であることが分かっていたノーベルは、爆薬を個体にする方法を探し、紙、パルプ、おがくず、粘土、石炭など、あらゆる物質を混ぜ合わせました。そしてある物質を使ったとき、ようやく爆薬が個体になったのです。それは、珪藻土とよばれる、海や湖の底に大量にある土でした。固形化に成功すると、爆薬は持ち運びも簡単で扱いやすく、なにより安全になりました。彼はこの爆薬に「力」を意味するギリシャ語のデュミダスからとった「ドゥナミート」という名前をつけました。英語でよめば「ダイナマイト」です。


大規模な建設工事が増え、爆薬の需要は高まっていたので、ダイナマイトは世界中から大喜びでむかえいれられました。しかし発売から5年もしないうちに、戦争にも使用されるようになっていきます。恩恵を受ける人がいる一方で、多くの人がダイナマイトによって命を奪われることにもなったのです。

ノーベル 試行錯誤の平和への道のり

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ノーベルは、安全に建設を進めるための道具としてダイナマイトを開発しましたが、それは戦争で多くの人を殺す道具として使われていきます。それに心を痛め、平和を求めてノーベル賞を創設したのでしょうか?実際はそうではなさそうです。ノーベルは、ある人との出会いがなければ、ノーベル賞を創設しなかったかもしれませんし、一度使用すれば世界が破滅するような兵器を開発していたかもしれません。彼はダイナマイトを発明しながら、平和に対してどんなことを思っていたのでしょうか、その心のうちをのぞいていきましょう。

ノーベルの平和観

ノーベルは、ダイナマイトが戦争に利用されることをどう思っていたのでしょう。はっきりと文章に残してはいませんが、ダイナマイトが戦争に使用されていることを聞くと、日記にこう書きとめています。
「あらゆるものは、あやまって受け取られ、あやまって用いられるおそれが、いつもある。」

ノーベルはとても現実的な人でした。彼は、ダイナマイトは建設などの平和目的に使用されてほしいと願っていながらも、戦争で使用されるのをやめさせることはできないと考えていたようです。

そんな彼は、平和の実現に対して独特な考えをもっていました。それは「兵器がもっと進歩して、人類の存在をおびやかすほどになれば、戦争をしなくなるだろう」というものでした。しかし、ある出会いをきっかけに、ノーベルは平和を実現させるための別の方法も深く考えるようになっていきます。

ベルタと探す平和への道

ノーベルが、それまでとは違う平和実現の方法を考えるようになったのには、ある女性の影響がありました。オーストリアの平和運動家、作家のベルタ・フォン・ズットナーです。彼女は秘書としてノーベルのもとで働いていましたが、結婚を機に退職します。その後、平和運動団体に参加し、平和をテーマにした『武器を捨てよ』というベストセラーになった小説を発表するなど、平和活動に精力的に取り組んでいました。秘書を辞めてからはかかわりが途絶えていましたが、旅行のかたわらでベルタがノーベルのもとを訪れてから、ふたりはともに世界の平和という大きな問題を深くつきつめて考えるようになりました。

平和を求める点では共通していたふたりですが、考えはまるで違いました。ベルタは「地上からいっさいの軍隊や武器を捨てさせるように各国の政府に申し入れる」、「国際裁判所をもうけて、戦争をしかけた国を裁く」ことで平和を実現させたいと考えていました。しかし、爆薬の事業を通じて、政治家や戦争好きの軍人の考えを知っていたノーベルには、こうしたベルタの構想は実現不可能にみえました。

試行錯誤の末の平和

では、現実主義のノーベルはどのような考えをもっていたのでしょうか。ノーベルは「各国が取り決めを結び、一国が攻撃されたらほかの国が協同して、その国を守る」というやり方を考えます。戦争を起こしたがっている国も、ほかの沢山の国まで相手にしなければならないとなると、ひるむに違いないと思ったのです。この考えは国際連盟・国際連合の出発点となりました。

さらに、ノーベルはベルタの「できるだけ多くの人々に平和へのねがいをうえつける」という考えにもつよく惹かれていました。彼は平和な世界をつくる計画をまとめ、自分の財産の一部で、国際平和賞をつくろうと思っている旨をベルタに手紙で送りました。


そしてノーベルは、遺言状に財産の分け方について記しました。「(親類や友人にわけたあと)残りのすべての金の利子を毎年、その前の年に、人類のために役立つ仕事をした人々に、賞として分けること。利子は5つに分け、物理学化学医学・生理学文学国際平和のそれぞれの分野で、重要な発明発見をし、あるいは理想にみちた作品をあらわし、あるいはまた戦争をふせぐことにつとめた人物にあたえること。」こうしてノーベルの死後、彼のほとんど全財産は、人類のしあわせな未来のために捧げられることになりました。


この遺言は、ノーベルが亡くなる7年も前から検討し、二度にわたって書き直されました。書き直す前と後でおおきく異なるのは、親類や友人にわたす遺産の額です。書き直す前の方が、ずっと多い金額をわたすことになっていました。遺言書の中身を考える中で、ノーベルの平和への願いもだんだんと強いものになっていったのかもしれません。

世界から戦争をなくすために

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ノーベルは平和を求めている人間ではあったものの、世界から戦争をなくすという問いには、「人類の存在をおびやかすほどの兵器があれば、戦争はしなくなる」という考えをもっていました。これは、現在の「核抑止論」のもとになるものです。しかし、人類を滅亡させられるほどの核兵器があっても、残念なことに今なお戦争はなくなっていません。現在の科学者たちに求められるもの、それは、人類の存在をおびやかすほどの兵器の発明よりも、科学の発明を戦争や人を傷つけるために利用されないように守ることであり、私たちひとりひとりは、平和への願いを強くもつことが大切なのではないでしょうか。

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