【戸籍・計帳と班田収授法】戸籍を元にして田を与え税収を確保
戸籍と計帳を作成して、班田収授法を定めたのが3つ目です。戸籍は現在と同じく個人の名前を世帯ごとに記したものですが、計帳とは戸籍に基づいて税を徴収するために作られた台帳ですね。そして、班田収授法という戸籍に基づいて田を与える制度を整えました。律令制度での税金と言えば、田から収穫された穀物が中心。収穫された穀物をしっかり納めてもらうことが、国家を維持するためには必須であり、だからこそ制度を整える必要があったのですね。
しかし、先ほどの行政区画の項目で、『日本書紀』が後の時代に書き換えられた可能性があることをお伝えしました。この戸籍・計帳、班田収授法の制定も、実は同様なのです。というのも、日本で初めての全国的な戸籍は、670年の庚午年籍だとされているからですね。改新の詔が発せられてから、しばらく時が経っているのです。ですので、これらの実施は、数年後と考えられますね。
【租・庸・調の整備】いろいろな税制度
そして最後の4つ目は、新しい税制度についてです。これが、租・庸(よう)・調と言われるものですね。
祖とは、与えられた田から収穫された米を納めるもの。庸は、本来は男子にかけられた労役なのですが、その代わりに米や布を納めることを認めたものですね。そして、調も男子にかけられたもので、繊維製品をはじめとし、地方の特産物を納めることとなりました。
「改新の詔」以外の改革いろいろ
上記では、「改新の詔」の内容を見てきましたが、実は、これ以外にも行われた改革もあります。ここでは、その内容について、ピックアップしてご紹介しますね。
まずは、東北の蝦夷(えみし)対策。蝦夷とは、東北地方にいる朝廷の支配下に入らなかった地域の人々を指します。現在の新潟県にあたる場所に、渟足柵(ぬたりのさく)・磐舟柵(いわふねのさく)という防衛施設をつくりました。
官位制度については、聖徳太子の時代に整備された、冠位十二階を冠位十三階に改めました。しかしながら、2年後には冠位十九階に再度改められることになります。
また役職では、左大臣・右大臣を置き、かつての大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)といった役職の廃止。大臣では蘇我氏、大連では物部氏が有名ですね。大臣や大連は決められた出自の者で成り立っていましたが、左大臣・右大臣を置くことでそれをなくしたのでした。
天皇中心の中央集権国家をめざした意義のある改革
「大化の改新」とは、中国の律令制を手本として、天皇中心の国づくりを進めた改革でした。豪族が中心となっていた政治体制を改めたという意味で、非常に革新的なものだったのです。「改新の詔」の内容については、後年書き換えられたので、実際はもう少し後の時代からの実施だったとの指摘も多々なされていますが、その下地が作られたのは変わりなく、意義があったものなのではないでしょうか。