室町時代戦国時代日本の歴史

『義の名将』『越後の龍』今でも愛されている「上杉謙信」の生涯と噂を解説

謙信は意外と病気がち

謙信のイメージといえば勇ましい武将に見えますがなんだかんだでこの人すごい病気にかかっています。その原因はなんといってもお酒の飲みすぎと塩分の摂りすぎ。謙信は普段からお酒を飲んでいましたが、その酒を飲む量が尋常じゃないぐらい多く馬上杯という12センチもある巨大な杯で梅干をおつまみにしながらガブガブ飲んでいたそうです。そりゃ病気にかかりやすくなりますよ謙信さん… さらに病死の原因が高血圧による脳卒中だったそうなので、皆さんも健康には気をつけましょう。

謙信は果たして女性だったのか

上杉謙信に関する最も有名な噂といえば謙信が女だったのかもしれないということ。現代であったらその噂によってゲームでよく女体化しています。そんな噂がでた最大の理由は一生独身でいて子供がいなかったということです。普通この頃、戦国大名と言ったら必ず子供を残さなければいけません。第一、謙信の死後子供がいなかったために御館の乱という上杉家の家督争いが起きてしまいました。

しかし、謙信が独身であったことが女性となる証拠となるのかと言ったらそれは信憑性が低いといえます。謙信は上にも書いた通り子供の頃から仏教に触れており、毘沙門天を信仰していました。実はその毘沙門天の信仰の中に結婚してはいけないというものがあったのです。まぁ、この頃の仏教は女性が入ってはいけないという世界でしたからね。また謙信には度々つわりに悩まされていたという記述がありますが、この記述も信憑性が高いとはいえません。

でも、こんな噂が流れるということは謙信がいかに謎が深い武将であったかというのがわかります。

義のために生きた上杉謙信

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上杉謙信は困った大名がいればすぐに戦い助けようとするまさに毘沙門天の化身のような大名でした。その彼の生き様は今でも故郷である新潟で愛されており、今でも根強いファンがいます。彼が目指していた世界はどんな形だったのか?そう考えると謙信に対して愛着がわくと思いませんか。

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