伊勢宗瑞に追いつめられ、自害する
すでに求心力を失っていた茶々丸に対し、宗瑞は破竹の勢いで進撃し、茶々丸を追いつめていきました。
ここで茶々丸は自刃したということになっていましたが、最近では、彼は宗瑞によって追放された後も生きており、山内(やまのうち)上杉氏や武田氏の支援を得て権力奪還の機会を狙っていたのだそうです。しかし、明応の大地震などの天変地異などもあり、徐々に抵抗する力を失った茶々丸は、明応7(1498)年、再び宗瑞に捕らえられ、自害しました。おそらく30歳に満たなかったと思われます。
こうして堀越公方家は滅亡したのです。
運命に翻弄された哀れなプリンス・足利茶々丸
堀越公方家に生まれたばかりに、茶々丸は激動の人生を生きることになってしまいました。実母が健在だったならば、ここまで冷遇されることはなく、堀越公方の正式な跡継ぎとしてきちんとした教育を受け、もっと違う人生を歩めたのかもしれません。讒言を信じて家臣を殺してしまった点などは擁護されるところではありませんが、それもすべて、彼の経験不足と環境の過酷さが要因のひとつにあると思います。運命とはなかなか残酷だと思わされました。