安土桃山時代室町時代平安時代戦国時代日本の歴史鎌倉時代

「関白」って何?摂政や太閤、太政大臣、征夷大将軍とはどう違う?

なぜ?どうして?関白に関する二つの疑問!

image by PIXTA / 2029923

こうして見ると、「関白」も「摂政」も「太閤」も「太政大臣」も、言わば名誉職であり、律令体制の中に書かれていない、特別扱い・優遇される役職。スペシャルカードのようなもので、どれが一番偉いのかはっきりさせることは難しそうです。さらに「征夷大将軍」についても、都を離れてしまえば天皇の代理として高い権限を持つわけで比較が難しい……。どれも全部偉いのだ、ということが分かったところで、次に、「関白」に関する2つの疑問を解明していきましょう。

初代関白は誰?関白というシステムはなぜ始まった?

初めて関白となったのは、藤原基経(ふじわらのもとつね)であることは、先ほど述べた通りです。

藤原基経とは平安時代前期の公家。叔父・藤原良房(ふじわらのよしふさ)は、皇族以外で初めて摂政を務めた人物で、藤原氏による摂政時代を築いたことでも知られています。良房の前は、摂政は皇族の血筋にあたる人物が務めていたのです。

藤原基経は、そんな偉大なる叔父のもとに養子に入り、後継となります。天皇の信頼を得て出世し、太政大臣も歴任。872年に養父・良房が高いすると後継となり、朝廷内で強い影響力を持つようになります。

876年には、当時まだ9歳だった陽成天皇が即位したため、基経は叔父と同じように摂政に就任。やがて陽成天皇は成人し、その時点で基経は摂政ではなくなるわけですが、ここで基経は考えました。

より長く、権力を保ち続けるためにはどうすればよいか……。

そこで基経、やっと成人した陽成天皇を退位させ、代わりに50歳過ぎの高齢の光孝天皇を即位させます。天皇といえば若いうちに即位するものかと思いきや、まさかのおじさん天皇。光孝天皇には政務と向き合う熱意はなく、すでに太政大臣まで上り詰めていた基経に大政を任せます。

陽成天皇が成人したときか、あるいは光孝天皇を即位させて政務を任されたときか……。どちらを関白とみなすか難しいところ。ただ、このあたりが関白誕生の瞬間であることは確かなようです。

豊臣秀吉は藤原氏でも公家でもないがなぜ関白に?

藤原基経以降、関白は基本的に藤原一族の誰かが担当していました。

鎌倉時代に入ると、藤原氏の中でも非常に力を持った家が摂政や関白職に就くようになっていきます。

近衛家、九条家、一条家、二条家、鷹司家の5つのいずれかであり、これらをまとめて「五摂家(ごせっけ)」と呼ぶことが多いです。

ただし、藤原氏でも五摂家でもないのに関白職に就いた人物がいます。

それが豊臣秀吉(とよとみひでよし)です。

豊臣秀吉はもともと農民の出であり、藤原家と何の縁もゆかりもありません。それでも関白の職を拝命し、職を退いて養子の豊臣秀次に関白の地位を譲った後も、太閤として権勢をふるい続けました。

秀吉が関白になる際、いくら天下人であったとしても無理があったのか、いったん近衛家に養子(猶子)に行ってから関白になっています。

しかしなぜ、秀吉は関白になったのでしょう。そして朝廷はなぜ、秀吉に関白を任じたか。

秀吉は武士ですから、望むなら征夷大将軍の地位が望ましいはずです。

しかし結果的に、秀吉は征夷大将軍にはならず、近衛家に入ってまでして関白の座につきます。

その理由については、いくつか説があるのだそうです。

理由のひとつとして、足利家の存在が挙げられます。この頃、すっかり没落したとはいえ、まだ室町幕府は存在していました。15代将軍足利義昭が征夷大将軍の地位にあったのです。もちろん、足利義昭なんかさっさと追い出して将軍にとってかわることも可能でしたが、結局そうはなりませんでした。

もうひとつの理由として、秀吉の身分が低かったからという説が挙げられることも多いです。征夷大将軍になるには、源氏の家系でなければならないと朝廷に断られたという説もあります。

ただ、実際に秀吉が何を考えていたのかについては、はっきりとはわかっていないようです。

朝廷からの(征夷大将軍にならないか、という)申し出を秀吉が断ったのか、朝廷側が却下したのか、真相はどちらなのか……。もしかしたら、それほど深い意味はなく、ただその時の秀吉の気分が「関白」だっただけなのかもしれません。

関白とは政界を牛耳るフィクサー!天皇自身より影響力があった?

image by PIXTA / 54046222

関白にしても摂政にしても、天皇を利用して権力を握るための切り札といったところでしょうか。こうして各役職の成り立ちを見ていると、当時の権力争いが如何に激しかったか伺い知ることができます。現代でも、表に出てあれこれ苦労するより、裏で糸を引くほうがよっぽど影響力が強く、かつ自由が利くので権勢をふるうことができるというもの。考えることは、古代中世の人々も現代人も同じなのかもしれません。関白・摂政・太閤・太政大臣・征夷大将軍、自分だったらどの職に就きたいか考えてみましたが、どれも大変そう。とても自分には勤まりそうもありません。

1 2
Share: