洒落本:できる男の遊び方ガイドブック
洒落本(しゃれぼん)とは、江戸時代中期頃から出回り始めた読み物の一種です。
主に遊郭など遊びどころが舞台となっており、遊女との駆け引きが主軸。野暮な客と対比するなどして、粋でカッコいい会話の楽しみ方を描いたものが人気だったようです。
持ち歩くことを意識して作られていたのかどうか定かではありませんが、当時の本としては小さめのサイズで、半紙4分の1くらい。蒟蒻(こんにゃく)くらいの大きさだったからという理由から「蒟蒻本」とも呼ばれていました。
単なる読み物としてだけでなく、実際に遊郭に遊びに行ったときに恥をかかないようあらかじめ読んでおく「遊郭の遊び方ガイド」のような読まれ方をしていたとも考えられています。当時の男性陣は洒落本を懐に忍ばせて、遊女相手のスマートな会話を妄想して楽しんでいたのかもしれません。
江戸後期に差し掛かる頃には、会話体で面白おかしく語られるスタイルのものを広く洒落本と呼ぶようになっていったようです。
十返舎一九も、それほど数は多くありませんが洒落本をいくつか書いています。
黄表紙:吹き出し付き?まさに江戸時代のコミック本
黄表紙(きびょうし)とは、江戸時代中期頃に流行した草双紙の一種です。
草双紙(くさぞうし)とはいわゆる挿絵の入った娯楽本の総称。赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻と様々な種類があります。名称に赤や黒など色が使われているものが多いですが、これは表紙の色に由来するのだそうです。
もともとは子供向けの童話などを描いたものが主流だったようですが、江戸中期頃から徐々に大人向けの読み物が増えていき、そのうちのひとつが黄表紙であるといわれています。
日常の他愛もない出来事から社会風刺まで、内容は様々。喜多川歌麿や葛飾北斎など、人気の浮世絵師たちが挿絵を担当することもあったそうで、黄表紙の人気のほどがうかがえます。
紙面全体に絵を描いたものもあれば、絵の中に吹き出しのようなものが埋め込まれセリフが書かれたものもあるのだとか。現代の漫画やコミックの原型といってもよいのかもしれません。
十返舎一九が蔦屋に身を寄せるようになって初めて描いたのも『心学時計草』など黄表紙が数作。初期の頃は黄表紙をたくさん手掛けています。絵心もあった一九にとっては、黄表紙は様々な能力を発揮できる絶好のジャンルだったと言えそうです。
十返舎一九の代表作『東海道中膝栗毛』とは?
様々な文学ジャンルが誕生し、庶民が本を買い求めて読んでいた江戸後期。そんな時代を代表する文学作品となったのが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』です。
初版は前述のとおり1802年(享和2年)。以後、一九の人気作家としての地位を確立した作品となりました。
タイトルに含まれる「栗毛」とは馬の毛色のこと。「膝」は自分自身の足。馬ではなく自分の足で東海道を歩いて移動する旅のことを、遠回しに表現しています。
主人公の名前をとって『弥次喜多道中』と呼ばれることもあるベストセラーです。
登場人物は主に2人。神田八丁堀に住む50歳くらいの弥次郎兵衛と、30歳くらいの居候・喜多八で、どちらも決して真面目とは言えない生活を送っていましたが、これじゃいかんと厄落としのためにお伊勢参りを決意し、旅に出るところから物語が始まります。
江戸から東海道を歩いて伊勢神宮へお参りし、さらに京都、大坂へ。2人の行くところ騒動あり、人情あり、ドタバタあり、悪戯ありで、笑いが絶えません。
一九は実際に東海道を旅しながら、やじきた道中を描いていたのだそうです。そうしたリアルな部分も、人気につながったのかもしれません。
大人気となった弥次喜多コンビ。その後も、中山道や金毘羅参り、草津温泉バージョンも登場し、2人のドタバタ膝栗毛は続きます。1822年(文政5年)まで、20年にも渡って弥次喜多コンビの膝栗毛は続いていったのです。
元武士という経歴を持つ人気作家・十返舎一九
紀行小説でもあり、お笑いものでもあり、バディものでもある『東海道中膝栗毛』。十返舎一九はこの作品を通じて、人々が「読んで楽しい」と感じる分野を確立したといってもよさそうです。それは江戸時代後期にとどまらず、現代にも通じるものが。そんな作品を世に送り出した十返舎一九がもともと武士で役人をしていたなんて……。そう言われてみれば現代の作家でも、もともとお医者さんだったり大学教授だったり、意外な経歴を持つ人も多い。200年以上前の人ですが、そんなに昔の人ではない、それが十返舎一九なのだと、そんな印象を持ちました。