歴史

5分でわかる!戦後最大の汚職事件「リクルート事件」をわかりやすく解説

コスモス株をめぐる疑惑

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日本がバブル景気で浮かれていた昭和63年から物語は始まります。株式を購入すれば誰もが儲かった時代、急速に業績を伸ばしていたリクルートの子会社、リクルート・コスモス株が公開されたことで多くの人が利益の恩恵を受けたといわれていますね。しかし、リクルート事件の端緒は些細なことからでした。

朝日新聞のスクープ記事

1988年3月、朝日新聞社川崎支局にて。担当記者と談話している山本の姿がありました。

「山本さん、神奈川県警担当のキャップが言ってたんですが、どっかの市の汚職を県警が狙ってるっていうんですけど、どうします?」

「それは俺も知ってる。川崎市の助役とリクルートの関係が怪しいってやつだろ?」

「それが5月中旬で打ち切りらしくて、捜査当局が事件にできなければ記事掲載も難しいですからね…」

朝日新聞としては、捜査の進展がなければ記事も書きようもありません。あきらめの方向へ傾きかけた頃、山本は決心したように切り出しました。

「操作は潰れたようだが、助役とリクルートはどっから見ても灰色だ。我々がここで放り出してしまえば真相も闇から闇へ葬られてしまうだろう。ダメ元できっちりウラを取ってみようじゃないか!」

そして川崎市の小松助役へのインタビューや、周囲への聞き込みなど、粘り強い取材を続けて、ついに6月18日にスクープ記事が紙面を飾ることになりました。

 

「川崎市の企業誘致責任者だった小松秀煕助役がリクルート関連会社の未公開株を手に入れ、株価が急上昇した公開直後に売却、多額の利益を得ていた!」

 

工場跡地の誘致を進めていた小松助役は、リクルートから未公開のコスモス株を3千株も譲渡を受け、公開と当時に売却して1億円もの利益をあげていたのです。これは立派な収賄事件でした。

朝日新聞がすっぱ抜いたこの記事をきっかけに、マスコミ各社が後追いで凄まじいばかりの取材合戦を繰り広げました。やがてこの事件の波紋は政財界へも飛び火することになるのです。

追い詰められる江副

それから1ヶ月も経たないうちの7月6日、国民が驚嘆するばかりの記事が報じられました。

 

「コスモス株が、中曽根康弘前首相、安倍晋太郎自民党幹事長、宮沢喜一大蔵相の各秘書名義で売買されていた!」

 

朝日新聞の山本は後年語っています。報道のウラを取るためには「物的証拠」がなければならない。実は未公開株の譲渡先リストを手に入れていたと。

もちろんリストを持っている誰かがリークしたのは間違いのないところですが、そのことによって自民党だけでなく、野党や政財界の大物たちの名前も白日の下に晒されました。

リクルート社会長の江副は追い詰められていました。

「誰かがリークしたのは間違いないが、マスコミの暴走はまるで魔女狩りのようだ。私のような特定の人間を吊るし上げようとする。これでは夜も眠れやしない。」

江副は心神耗弱状態に陥り、半蔵門病院へ入院します。江副は「まるで隙間産業のようだ」と揶揄されたリクルート社を、社会的地位の高い一流企業にするべく奔走していました。そのためコスモス株を政財界の大物たちに供与することで、今後の見返りを期待していたのです。

しかし江副の思惑は裏目に出てしまいます。マスコミ報道は日々加熱し、国民感情も社会的制裁を加えるべく世論が沸騰していました。

政・官・財界に広まっていた汚職の波

その後もマスコミによる続報は跡を絶ちません。その後の報道によって政・官・財界に流れた莫大な利益供与の実態が明らかになっていきました。

7月6日、日本経済新聞社社長の森田康が、未公開株譲渡で売却益を得た事が発覚し辞任。

11月1日、真藤恒NTT会長へ、秘書の村田幸蔵名義でコスモス株譲渡が報道される

11月2日、池田克也公明党代議士が上田卓三社会党代議士へコスモス株を譲渡したとの報道

11月3日、高石邦男文部事務次官へのコスモス株譲渡の報道

また、政界に流れた資金は判明しただけで総額13億3千万円にのぼり、未公開株の売却益や政治献金、パーティー券購入などで利益供与を受けた国会議員は自民、社会、公明、民社の4党で44人以上にもなりました。

さらに江副にとって最悪な事態が続きます。衆議院議員の楢崎弥之助が、リクルート側にコスモス株受取人のリストを要求したところ、あろうことかリクルート関係者が「これ以上追求しないように」金銭の贈賄を提案したのです。

あまりに姑息な態度に不信感を抱いた楢崎は、交渉の様子をビデオカメラで隠し撮りしたあげく、民放のニュース番組の中で公開してしまったのでした。

「社会的信用のある人たちに公開前の株を持ってもらうのは、どの企業もやっている証券業界の常識のはず。それをこれから世間に訴えようとしているのに、そんな姑息なマネをすれば世論が離れていくに決まっている!いったい何をやってるんだ!」

江副は心の中で歯噛みするような思いでした。このような四面楚歌の状況の中、いよいよ検察が動き出します。

検察の捜査はじまる

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翌年から元号が「平成」に変わり、それと共に検察(東京地検特捜部)もいよいよ本格的捜査に乗り出すことになりました。そして事件の全貌が明らかになるのです。

江副とNTT上層部との癒着

1980年代の通信業界規制緩和の波に乗って、リクルートはニューメディア事業に進出し、大きな利益を上げるようになりました。しかし、そこには「癒着」という繋がりがあったのです。

コスモス株をNTT上層部に譲渡して利益供与を行い、その見返りとして優先的に回線を融通してもらう。いわゆる賄賂によって繋がっていると検察は睨んでいました。

11月6日には、疑惑を否定していた村田NTT会長秘書がコスモス株を売買したことを認め、NTT側責任者として式場取締役が未公開株の譲渡を受けた嫌疑で検察から事情聴取を受けました。

そして平成元年2月13日には江副元会長、NTT側では式場、長谷川両NTT取締役が逮捕され、続く3月6日には大物の一人、真藤NTT元会長が逮捕されるに至ったのです。

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