歴史

5分でわかる!戦後最大の汚職事件「リクルート事件」をわかりやすく解説

藤波孝生元官房長官の起訴

検察の捜査のメスは、政官界にも及んでいきました。文部科学省や労働省の元事務次官らが相次ぎ逮捕・起訴されていく中、前中曽根内閣の官房長官を務めた藤波孝生が起訴されたのです。閣僚級で起訴されたのは藤波だけでした。

起訴理由は「リクルートから就職協定に関して、公務員の青田買いについて善処してほしいとの要請を受け、コスモス株と小切手を受け取った」こと。

自民党の他の大物政治家たちも、同様にコスモス株を受け取ったにも関わらず、なぜ藤波だけが起訴されたのでしょうか?

捜査関係者が家宅捜索にやってくる直前、藤波は自室で述懐していました。

「今度のリクルートの件は、どうにもならんなあ。考えてみればロッキード事件を上回る大疑獄じゃないか。世話になった中曽根先生にも累が及ぶかも知れないし、誰かが人身御供にならんとなあ。」

やがて自宅にやって来た捜査員たちは、藤波の自室どころか階段にまで山と積まれた書籍を見て唖然とします。

「この人はそんなに悪いことをしたんだろうか?本当に起訴しても良いのだろうか…」

かつて中曽根内閣の閣僚だった者たち全てが、リクルート事件に関与している以上、誰かが責任を取らねばならない。藤波は自らの首を差し出すことで事態の収拾を図ったのかも知れません。

そのためか、中曽根や竹下、宮沢ら大物政治家が起訴されることはありませんでした。

竹下内閣の総辞職

現職の総理大臣である竹下登にも追求の手は伸びていました。なぜなら、竹下首相の政治秘書である青木伊平が自分名義でコスモス株を持っていたからです。

さらにリクルート社から多額の政治献金をもらった事が判明しました。後援会パーティーでリクルート社から3千万円の寄付金を受け取るなど、昭和60~62年までの2年間、政治献金やパーティー券などの名義で合計1億5千万円をもらっていたのです。

竹下に対する追求が厳しくなる中、青木は資金提供を1億5千万円で確定させ、竹下もまた国会において「もうこれ以上、出てくることはありません。」と断言しました。

そんな時、事情聴取を行っていた検察担当者の佐渡賢一は、青木に対してこう尋ねます。

「青木さん、リクルート側から献金を受けたのは1億5千万円で間違いないんだね?」

すると青木は少し口ごもり、「それが…」

少し要領を得ない青木に対して、佐渡は畳みかけました。

「それ以外にあるのなら、ここで言うべきだし、隠していてもしょうがないでしょう?」

青木は決心したように答えました。

「実は、リクルート側から5千万円の提供を申し込まれたのですが、それはさすがに断りました。その金は貸付金として正当に処理し、全額返金もしています。」

事務所の出納帳を確認した佐渡は、青木に向かってこう言いました。

「きちんと会計処理もされているし、特に問題はないね。ただ、やたらと勘ぐってくる人間もいるから、この事実を公表するかどうかは、そちらに任せます。」

「はい、わかりました。」

青木は検察側から「問題ない」とのお墨付きをもらったことで安心していました。

しかし、事態は思わぬ方向へ急展開するのです。この取り調べの内容を誰がマスコミにリークしたのか?何とその日の夜に朝日新聞が取材しに来たのでした。

仰天した青木は事の重大性に気付き、翌朝、竹下邸に弁明にやって来ました。青木の報告を聞くなり竹下は、

「もうこれ以上、資金提供が出てくることはない!と言ったんだぞ!また新たな献金疑惑が出てきたことをどうやって弁明できる?金を返したと言って済む話ではない!その前になぜ報告してこなかった?」

顔色が変わるほど青木を叱責したところで、どうなるものでもありません。その日の夕刊の紙面には、「竹下首相にまた新たな献金の疑惑が!?」という文字が踊りました。

竹下内閣への非難が強まる中、ついにその4日後、竹下は内閣の退陣を表明したのです。

いっぽう、叱責を受けた青木は消息をくらまし、翌日、自室で首を吊った状態で遺体が発見されました。青木の死因については、自殺ではなく他殺なのでは?という声が当時から多かったそうです。

いずれにしても、政財界を巻き込んだ一大疑獄事件「リクルート事件」は、史上稀にみる「政治とカネ」の問題を白日の下に晒しました。

「リクルート事件」のその後

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世間に衝撃を与えたリクルート事件でしたが、この事件が及ぼした影響は政治の在り方にも大きな影を落とすことになりました。もし、今のSNS全盛の時代にこんな事件が起こっていたら、それこそ国民の政治不信は頂点に達し、国会はひっくり返っていたのではないでしょうか。事件のその後を追っていきましょう。

自民党の衰退

江副が会長を務めていたリクルート社は、この事件の影響でイメージが悪化し、さらにバブル経済の崩壊が追い打ちを掛けました。やがて平成4年にはダイエーグループに身売りを余儀なくされ、江副が一代で築いた企業帝国は消滅したのです。

また、罪には問われなかったとはいえ、多くの自民党大物議員が事件に関わっていたため、党の弱体化を招きます。次に内閣を引き継いだ宇野宗佑も自身のスキャンダルによって早期退陣し、急速に求心力を失っていった自民党は、その後の参議院議員選挙で歴史的な大惨敗を喫してしまいました。

結果、社会党など野党の台頭を招き、一党のみでは政権維持が難しくなった自民党は、公明党と結託する自公路線を選ばざるを得なくなったのです。

政治改革に伴う派閥政治の解消

一連の政治家による不祥事のため、世間からは「自浄作用がない」とのレッテルを貼られた自民党。続く平成の時代には大きな政治改革が求められました。それが選挙制度改革政党助成金制度閣僚の家族に至るまでの資産公開などの導入だったのです。

要するに収賄を防止し、政治献金を制限するために、政党に対して一定の助成金を付与するということ。また閣僚の家族にまで資産を公開させることで、身の潔白を証明させました。

しかし政治家が政治資金を制限されてしまうことで、思わぬ問題が浮かび上がってきました。それが「派閥の解消」です。自民党の場合、それぞれの派閥間がライバル関係であることにより議論が活発化され、より練り込まれた政策を展開することができました。また、互いに牽制し批判し合うことで「ダメなものはダメ」としっかり言い合える間柄にあったといいます。

なぜ派閥が解消されてしまったのか?それは資金力の減退という他ないでしょう。

豊富な政治資金がなければ、派閥に属するメンバーに対して選挙の際、または日常的に十分な援助をすることが出来ませんし、メンバー相互の親睦を深める機会も貧弱なものになってしまいます。

また派閥のトップは、若手議員に対しては夏には氷代、冬には餅代として多額の資金を配っていました。しかし政党助成金制度の導入や政治資金規正法の改正によって、政党や政治資金団体以外への団体献金が禁止となり、その結果、派閥が作っていた政治団体は、多額の献金を受け取ることができなくなり、大きな打撃を被ることになりました。

このように派閥の資金力が減退すると同時に、求心力も失う結果となり、派閥は実質的に有名無実のものとなっていったのです。

派閥が力を失うとどうなるのでしょう?一定の指導力を持った政治家だけに権力が集中し、みんなはそれに追随して忖度したり、右へならえで異論を唱えなくなってしまいます。それは良いポストが欲しいからに他なりません。もし反対意見を述べたりすれば、冷遇されたり、ポストから干されたりするのです。

それは正しい政党の在り方ではないでしょう。そう考えればリクルート事件は結果的に、今の政治手法に繋がっているものだといえるでしょう。

「第二のリクルート事件」を防ぐために

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「政治とカネ」の問題は、これまでにも様々な場面で取り沙汰されてきました。公明正大であるべき政治に、不正や忖度などがあってはならないことです。私たち国民自身が選ぶ政党や議員の資質について、もっと厳しい目を向けるべきですし、もっと政治に関心を持たなければ、こういったリクルート事件のような疑獄事件は防げないのではないでしょうか。

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明石則実