日本の歴史昭和

日米開戦の号砲となった「真珠湾攻撃」をわかりやすく解説

開戦の決定と南雲機動部隊の出撃

1941年12月1日、ハル=ノートを受けて天皇臨席の御前会議が開かれます。この会議を経て、東条内閣はアメリカ・イギリス・オランダへの宣戦布告を決定。攻撃の準備に入りました。

宣戦布告の直後にハワイの真珠湾を奇襲攻撃する作戦を実行するため、南雲忠一中将率いる海軍機動部隊が千島列島方面に出撃します。作戦の立案は連合艦隊司令長官の山本五十六でした。

機動部隊の主力は赤城・加賀・飛龍・瑞鶴・翔鶴の5隻の空母と2隻の戦艦などです。空母に搭載された航空機は戦闘機・攻撃機・爆撃機あわせて400機ほどという大部隊。アメリカ軍の目を欺くためハワイとは遠く離れた千島列島方面に出撃したのち、一気に太平洋を南下しハワイの真珠湾を目指しました。

この時点で、アメリカは日本がフィリピンなどを攻撃すると考えていたため、真珠湾の警戒は手薄でした。

「ニイタカヤマノボレ 一二○八」~奇襲攻撃の決行~

1941年12月2日、大本営は機動部隊に対し「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」の電文を発します。これは、12月8日にハワイ奇襲攻撃を実行せよという指令でした。

12月7日、航空機に先立って潜航艇部隊がハワイに接近。日本時間の12月8日午前1時30分、第一波の攻撃隊が空母から飛び立ちました。この時、ハワイは12月7日の朝です。

ハワイ時間午前7時49分、第一波攻撃隊が真珠湾上空に達しました。隊長機は旗艦の空母赤城へ「トラ・トラ・トラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ)の送りつつ攻撃を開始。真珠湾にいたアメリカ太平洋艦隊と周辺の飛行場を攻撃しました。午前8時54分、第二波の攻撃隊が真珠湾に到達、攻撃を続行します。

最終的にアメリカ太平洋艦隊の戦艦など6隻を撃沈。その他の艦船も大きな損害を被りました。しかし、空母エンタープライズなどは真珠湾に停泊しておらず無傷。アメリカ軍に反抗の余地を残しました。

アメリカの反応

日本政府は攻撃開始直前にアメリカに宣戦布告を行うつもりでしたが、実際にアメリカに宣戦布告が届いたのは開戦1時間後。アメリカ側は宣戦布告前の奇襲と受け取りました。アメリカ大統領のフランクリン=ローズヴェルトは日本のだまし討ちだとして国民に「真珠湾を忘れるな!」と呼びかけ、戦争への意欲を高めます。

日本の宣戦布告を受け、アメリカも宣戦布告。さらに、三国同盟に基づきドイツ・イタリアもアメリカに宣戦。のちに太平洋戦争とよばれる戦いが始まりました。

中立主義をかかげ、ヨーロッパでの戦争参加に消極的だったアメリカ市民も自国を攻撃されたとなれば話は別です。アメリカは一丸となって戦争へとかじを切りました。外交的に日本を追い詰め戦争へと踏み切らせたいという思惑もあったでしょう。しかし、真珠湾への攻撃はまったくの予想外だったことは確かです。

真珠湾攻撃の影響

戦術的に見て、真珠湾攻撃は大成功でした。アメリカ太平洋艦隊は潰滅。真珠湾の多くの飛行場を破壊し、アメリカの戦力を大幅に削ぐことに成功します。しかし、アメリカの戦意は衰えませんでした。アメリカは無傷だった空母などを中心に艦隊を再建。1942年のミッドウェー海戦の勝利で戦局を覆し、日本を追い詰めました。

戦線の拡大

image by PIXTA / 28713150

真珠湾攻撃の成功によりアメリカ艦隊に大打撃を与えた日本軍は東南アジアに進出します。真珠湾攻撃と時を同じくして行われたイギリス領マレーへの攻撃も成功。イギリス東洋艦隊に打撃を与えます。

1942年にはさらに占領地を拡大しました。1942年1月、日本軍はフィリピンのマニラを占領。マッカーサー司令はオーストラリアに脱出、守備隊は降伏しました。2月には最重要地点のイギリス領シンガポールを占領。

さらに、ジャワ島のオランダ軍も降伏したため現在のインドネシアにあたるオランダ領東インドも占領します。まさに、向かうところ敵なしの勢いでした。1942年の前半は真珠湾攻撃の成果を最大限に生かし、日本は占領地を拡大させたのです。

ミッドウェーの敗北

1942年6月、真珠湾攻撃を成功させた南雲機動部隊は中部太平洋のミッドウェー島攻略の支援のために出撃します。南雲艦隊がミッドウェーに向かうことをアメリカ軍は事前に知っていました。日本軍の暗号解読に成功していたからです。

アメリカ軍は空母エンタープライズ、ヨークタウン、ホーネットなどを主力とする機動部隊をミッドウェーに向かわせました。ミッドウェー島攻略をメインと考えていた日本軍はアメリカ軍機動部隊の発見が遅れます。

アメリカ軍は南雲機動部隊の主力空母4隻を撃沈。それまで、アメリカ軍に対して優勢に戦っていた日本軍は、戦争の主導権をアメリカ軍に奪われます。以後、物量に勝るアメリカの本格的反抗の前に、日本軍は後退を重ねました。

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