「お金よりも大切なものがある」とある人は言う。しかし、やはり「お金ほど大切なものはない」とも言うのだろう。
お金は良くも悪くも人生を左右する。
本編のマカール(男)とワーレンカ(少女)の2人は貧しさに喘ぎ、その周囲の貧しい人々にも巻き込まれている。
ただ、2人と周囲の共通点は「貧しいこと」であるのと同時に、相違点は「どのように貧しいかということ」であろう。
2人は文通を通じて互いを励まし合う。その有り様はただ健気である。
2人は2人で「心の貧しさ」に蝕まれぬように闘っていたのだろう。
金銭的貧しさが精神を貧しくするのか、それとも逆か、それは分からない。
そして、お金の使い方こそが教養によるものであり、心の豊かさを作り出すのだとも言い切れない。
それは例の2人の最後の切ない様子が、そう思わせるのである。
お金を「物質」と言い換えて、多少マルクス思想らしくなってしまうが、
物質の激しい流れの中で、心や精神が削られて流されてしまわないように立っているには、やはり1人では困難を極める、と痛切に感じた作品であったと思われる。
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貧しき人々 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
中年のしがない下級役人マカールと、天涯孤独な娘ワルワーラ。二人は毎日手紙で励ましあい、貧しさに耐えている。互いの存在だけを頼りに社会の最底辺で必死に生きる二人に、ある日人生の大きな岐路が訪れる……。後のドストエフスキー文学のすべての萌芽がここにある! 著者24歳のデビュー作、鮮烈な新訳!
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2010/4/20
- ファイルサイズ1392 KB
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登録情報
- ASIN : B00H6XBFB2
- 出版社 : 光文社 (2010/4/20)
- 発売日 : 2010/4/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1392 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 253ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,625位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 16位ロシア・ソビエト文学電子書籍
- - 43位ロシア・ソビエト文学 (本)
- - 129位光文社古典新訳文庫
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2017年12月3日に日本でレビュー済み
ドストエフスキー・24歳時のデビュー作です。
先に「 地下室の手記 (光文社古典新訳文庫) 」を読んでいたのですが、共に40歳すぎのしょぼくれたおっさんが出てきます。
といっても本作では、おっさんだけではなく、若き乙女の文通形式で話が進んでいきます。
最初の解説にもあるように、「貧しき」と言いながら、二人ともお手伝い的な人を雇っているのは結構普通だったとか、文通の内容から当時の状況もうかがい知ることができます。
今でいうとSNSで年の離れた者通しが交流するのに近いのかもしれません。
文通だけで収まらずに、お互いに直接あったりする節も、文通とSNSというツールの違いがあれ、人間としては変わっていないのかな、とも思いました。
これの現代版を何らかの形でメディア展開すると、結構面白いかもしれないと思いました。
年の離れた者同士の○○、というのは結構ネタとしてはありそうですし。
とか雑多なことを思いついてしまいました。
先に「 地下室の手記 (光文社古典新訳文庫) 」を読んでいたのですが、共に40歳すぎのしょぼくれたおっさんが出てきます。
といっても本作では、おっさんだけではなく、若き乙女の文通形式で話が進んでいきます。
最初の解説にもあるように、「貧しき」と言いながら、二人ともお手伝い的な人を雇っているのは結構普通だったとか、文通の内容から当時の状況もうかがい知ることができます。
今でいうとSNSで年の離れた者通しが交流するのに近いのかもしれません。
文通だけで収まらずに、お互いに直接あったりする節も、文通とSNSというツールの違いがあれ、人間としては変わっていないのかな、とも思いました。
これの現代版を何らかの形でメディア展開すると、結構面白いかもしれないと思いました。
年の離れた者同士の○○、というのは結構ネタとしてはありそうですし。
とか雑多なことを思いついてしまいました。
2017年6月11日に日本でレビュー済み
ドストエフスキーが時間をかけて仕上げた作品ということで、無駄なく一気に読み進みました。相手を思いやる書簡のやり取りのなかで、貧しい人達の窮状と希望の無い日々を何とかしなければと苦悩と忍耐、そして現状に絶望する有り様が涙しました。
ドストエフスキーのあわれな人々への眼差しは上からのではなく、その中にどっぷり浸かって共に嘆きかつ分析していく様は凄いです。
ドストエフスキーのあわれな人々への眼差しは上からのではなく、その中にどっぷり浸かって共に嘆きかつ分析していく様は凄いです。
2010年6月7日に日本でレビュー済み
カラマーゾフの兄弟を読み、次に本作、貧しき人々を読みました。
高校入学したての頃に人間失格を読み、次に晩年を読みましたが、同じように最後の作品の次にデビュー作を読んだ形です。
晩年も省略が多く、作品の中に出てくる「ノラも考えた」などは人形の家を読んでいないと全く分からないフレーズです。
これと同じように本作に出てくる当時の小説を理解していないと登場人物の言葉を理解しにくいです。
訳者による注釈から、登場する小説の概要や貨幣価値などを知ることが出来ますが。
また、手紙に記された事柄以外は全て推測して手紙と手紙の間を繋ぎ合わせなくてはならないし、ヒロインの目線で描かれる周囲の大人たちが何者なのかを同じく推測しなくては、彼女の身の上に実際起きてることや、生活環境を理解できないでしょう。
登場人物もカラマーゾフの兄弟より少ないのですが、人物描写が少ない分、頭にたたき込まなくては相関図が出来上がりません。
それらまで理解しなくても、お金がある時と無い時の人の気持ちの揺らぎはリアルに表現されています。
貧乏を体験した私としては読みたくなかった作品といえる程、リアリズムに徹した作品です。
ドストエフスキーとしては短編に分類されるでしょうが、読み応えのある作品です。
高校入学したての頃に人間失格を読み、次に晩年を読みましたが、同じように最後の作品の次にデビュー作を読んだ形です。
晩年も省略が多く、作品の中に出てくる「ノラも考えた」などは人形の家を読んでいないと全く分からないフレーズです。
これと同じように本作に出てくる当時の小説を理解していないと登場人物の言葉を理解しにくいです。
訳者による注釈から、登場する小説の概要や貨幣価値などを知ることが出来ますが。
また、手紙に記された事柄以外は全て推測して手紙と手紙の間を繋ぎ合わせなくてはならないし、ヒロインの目線で描かれる周囲の大人たちが何者なのかを同じく推測しなくては、彼女の身の上に実際起きてることや、生活環境を理解できないでしょう。
登場人物もカラマーゾフの兄弟より少ないのですが、人物描写が少ない分、頭にたたき込まなくては相関図が出来上がりません。
それらまで理解しなくても、お金がある時と無い時の人の気持ちの揺らぎはリアルに表現されています。
貧乏を体験した私としては読みたくなかった作品といえる程、リアリズムに徹した作品です。
ドストエフスキーとしては短編に分類されるでしょうが、読み応えのある作品です。
2019年9月15日に日本でレビュー済み
もうだいぶ以前に読んだのだが、文通形式と言う手法を取った小説だということが印象的だった。こうして改めて読み返してみると、ひとつひとつの手紙に多くの意味があること、そして、ドストエフスキーが得意とした、例えば、「白痴」の『イッポリートの告白』、「悪霊」の『スタブローギンの告白』、そして「カラマーゾフの兄弟」の『大審問官』と言った告白型の文章を特徴とする小説は、この第1作でも遺憾なく発揮されている。そして、それがすばらしい効果をもたらしていることも、同じである。
ところで、この作品の貧困を描くドストエフスキーの姿勢も筆舌に尽くしがたいものがあるのだが、一方で2人の主人公のこの世のものとも思えぬほどの、清浄な筆致に触れてしまうと、身につまされる思いにとらわれてしまう。
大作家にして、第一作あり、とは、多くの一流作家に思い知らされてきたことだが、ドストエフスキーはその、最適な典型と言えるのではないだろうか。
ところで、この作品の貧困を描くドストエフスキーの姿勢も筆舌に尽くしがたいものがあるのだが、一方で2人の主人公のこの世のものとも思えぬほどの、清浄な筆致に触れてしまうと、身につまされる思いにとらわれてしまう。
大作家にして、第一作あり、とは、多くの一流作家に思い知らされてきたことだが、ドストエフスキーはその、最適な典型と言えるのではないだろうか。
2023年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
封筒に入れてあるだけ。もう少しなんとか
ならなかったのかな。角とか折れてもおかしく
なかった。
ならなかったのかな。角とか折れてもおかしく
なかった。
2020年1月24日に日本でレビュー済み
貧困のいきつく先を描いているという意味では、とても伝わってくるものがありました。生きていくためには好きでもない相手と結婚を決意しなければいけないときもある。ある日突然夫が死んだりする。お金を恵んでくれた上司に対して畏敬の念を抱く。そういった出来事の描写が、非常に生々しく感じた。それだけで読む価値がある作品です。
でも、住んでる距離も見えるほどなのに、ぜんぜん会わないし、実際に会ったと思われるのも数えるほどしかない。ちょっとくらい会っている場面をいれてくれてもいいんじゃないかと思う。そんなこと言ったら「お前は書簡小説をわかっていない」と言われてしまいそうだけど。
でも、住んでる距離も見えるほどなのに、ぜんぜん会わないし、実際に会ったと思われるのも数えるほどしかない。ちょっとくらい会っている場面をいれてくれてもいいんじゃないかと思う。そんなこと言ったら「お前は書簡小説をわかっていない」と言われてしまいそうだけど。
2011年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
デビュー作品で、バルザックの不幸な娘の物語
『 純愛―ウジェニー・グランデ (角川文庫) 』に感動し、
そこから着想を得て描かれた作品だそうです。
本書は、ゴ−ゴリの『 外套 』に出てくる主人公
(貧しく、生涯書類を清書するしかない役人で、
同僚たちに嘲笑され、上司からも言葉の虐待を受けている)
とそっくりな主人公を登場させていますが、
ドストエフスキーはゴーゴリの主人公の不幸な人生に、
貧しい若い女性を登場させ、
恋する男の感傷的な愛と苦悩と破滅の物語に仕上げました。
主人公マカールと報われることのない恋愛の対象・ワーレンカとの
往復書簡の形で進められます。
手紙文の量からもマカールとワーレンカの温度差は感じられます。
自分を受け入れてくれる女性を手放したくない気持ちから饒舌さを生み、
貧乏になっていくに従って余裕を書いていくのが分かります。読み手も苦しい。
最初から庇護者として接していたワーレンカは
かつて自分を傷つけた地主からプロポーズされ
貧乏と将来の不幸を逃れようと決意し、報告をすると、
マカールは幼稚な口実で思いとどまらせようとします。哀れでなりません。
出発の前夜になってワーレンカは
「わたしは何もかも見ていて、わかっていました。
あなたはどれほど私のことを愛してくださったことでしょう!」
と書きます。
彼女のやさしさに心の緊張もほぐれ、
開放される喜びを感じました。
富に恵まれている人々と貧乏で不幸な人間の不公平感も
背景に感じさせる社会小説の側面もあります。
『 純愛―ウジェニー・グランデ (角川文庫) 』に感動し、
そこから着想を得て描かれた作品だそうです。
本書は、ゴ−ゴリの『 外套 』に出てくる主人公
(貧しく、生涯書類を清書するしかない役人で、
同僚たちに嘲笑され、上司からも言葉の虐待を受けている)
とそっくりな主人公を登場させていますが、
ドストエフスキーはゴーゴリの主人公の不幸な人生に、
貧しい若い女性を登場させ、
恋する男の感傷的な愛と苦悩と破滅の物語に仕上げました。
主人公マカールと報われることのない恋愛の対象・ワーレンカとの
往復書簡の形で進められます。
手紙文の量からもマカールとワーレンカの温度差は感じられます。
自分を受け入れてくれる女性を手放したくない気持ちから饒舌さを生み、
貧乏になっていくに従って余裕を書いていくのが分かります。読み手も苦しい。
最初から庇護者として接していたワーレンカは
かつて自分を傷つけた地主からプロポーズされ
貧乏と将来の不幸を逃れようと決意し、報告をすると、
マカールは幼稚な口実で思いとどまらせようとします。哀れでなりません。
出発の前夜になってワーレンカは
「わたしは何もかも見ていて、わかっていました。
あなたはどれほど私のことを愛してくださったことでしょう!」
と書きます。
彼女のやさしさに心の緊張もほぐれ、
開放される喜びを感じました。
富に恵まれている人々と貧乏で不幸な人間の不公平感も
背景に感じさせる社会小説の側面もあります。