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【名言】明日からまた頑張れる!生きるのが辛い人のための新約聖書の名言9選

生きるのに疲れていませんか?なにもしたくない、誰も信じられない……明日からどうやって生きていこう。無力感にとらわれるときってあります。世の中には様々な自己啓発本や名言集がありますが、その中でも「新約聖書」は人を慰めるという役割において長い歴史を持ちます。愛とゆるしの宗教として長く人に慕われてきた新約聖書の言葉から、紹介しましょう。

今日聞いて明日もまた頑張れる聖書のことば

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名言に移る前にそもそも「新約聖書」とは何でしょう?言わずとしれたキリスト教の聖典。「旧約(=ふるい約束)」に対して、イエス・キリストによる「神との新しい約束・契約=新約」という意味を持ちます。イエス・キリストの言葉や行動、人生を書き記した4パターンの「福音書」から今回はピックアップ!最初は、今日読んで明日からまだ頑張れる福音書のことばです。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

 

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。

あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

 

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。

野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、

あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

 

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

マタイ福音書(口語訳) 6章25-31節

どうしても人はクヨクヨ考え、悩みがちです。「明日」というものがある限り、お金や仕事、勉強、予定の心配は果てがないでしょう。しかしそれをイエス・キリストは喝破します。

全知全能の神はすべてを愛し、見守っているのだから、かならず必要なものを与えてくださる。信頼しよう。悩まなくてもいい!と言います。この感覚は日本人の多くにはわかりづらいものかもしれませんが、自分の手におえないことは全て神様に丸投げして「人事を尽くして天命を待つ」というニュアンスに近いでしょうか。

「人間失格」で有名な太宰治はこの一節を読んで、いつも死を思っていた自分も大きく力づけられた、と短編で語っています。くりかえし読むと、心がほっとする一節です。

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

 

わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

 

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

マタイ福音書(口語訳)6章9-13節

ここに挙げたのは「主の祈り」と呼ばれるものです。カトリック、プロテスタント諸教派、正教会の別を問わず、キリスト教徒がみんな唱えられるキホン。聖典である福音書に記されている、イエス・キリスト直伝のお祈りです。

引用した口語訳で「負債」となっている部分は「負い目」「罪」とも訳され、自分が他人に対して犯してしまった申し訳ないこと、罪のことを示します。神に罪を許してもらう代わりに、自分も他人の罪を許す、という精神は福音書を貫くものです。

また「試み」とは「試練」のこと。辛い目や困難、悪はだれでもおそろしいものですからね。神を信じる、信じないは別にして、覚えておくと教養にもなり、心がおちつく言葉でもあります。

「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい」。

 

取税人もバプテスマを受けにきて、彼に言った、「先生、わたしたちは何をすればよいのですか」。

彼らに言った、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」。

 

兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい」。

ルカ福音書(口語訳)3章11-14節

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