教養自分磨き

シャネルの名言が女性の心に響くワケ

ココ・シャネルは言わずと知れた高級ブランドで、女性なら一度はシャネルの服を着てみたい憧れのブランドです。自分にも他人にも厳しいシャネルが口にした多くの言葉は今でも名言として語り継がれています。そこで、なぜシャネルの言葉が女性の心に響くのか、彼女が誕生した時にさかのぼって考えてみたいと思います。

シャネルの生い立ち

image by iStockphoto

ココシャネルの名前で知れ渡っているシャネルですが、本名はガブリエル・ボヌール・シャネル。フランス南西部のソミュールという町で1883年8月19日に誕生しました。しかし生前、シャネルは自分がどこで生まれ育ったのかについては明らかにしていませんでしたので、ソミュールで生まれたということはシャネルの没後に明らかにされました。そして波乱万丈の人生を送ったシャネルは、1971年1月10日、87歳でこの世を去ります。

地位も名声も手に入れたシャネルは87歳で生涯を終えるまで、どのような人生を送ったのでしょうか。

シャネルの生い立ち ~ココシャネルの誕生~

シャネルの没後に明らかにされた彼女の出生証明書の父親の欄には孤児院の職員の名前が記載されています。その理由はシャネルの父親は各地を転々と渡り歩く行商人を生業にしていたので、誕生の瞬間には立ち会えなかったから。それはシャネルが歩むことになる寂しい人生を物語っているかのようです。

シャネルが12歳になる直前、母ジャンヌが病死。それ以降、行商人の父アルベールは子供たちの世話を放棄し失踪してしまうのです。父親に捨てられたシャネルたちは孤児院や修道院で育ち、田舎町ムーランでお針子として収入を得ていたシャネルは18歳で修道院を出ます。やがて彼女は知り合いの将校たちに連れられて行ったグランカフェで歌うようになり、歌手になることを夢見るようになるのです。その時シャネルがよく歌っていた歌からココと呼ばれるようになりました。ココシャネルの誕生です。

自分の過去を話さないシャネル

生前、シャネルは自分の生い立ちについては一切口を開きませんでした。自分たちを捨てた父親について聞かれたシャネルは「父は貿易商をしていた」と、行商人であったことを偽っていたのです。自分の悲しい過去を話したところで自分の人生を切り開くのに何の役にも立たないことを身を持って知っていたかのよう。そんなシャネルはこんな言葉を残しています。

『私は私の人生を作りあげた。なぜなら自分の人生が気に入らなかったからよ』

シャネルは父親に捨てられたという過去にずっと苦しめられていたのかもしれません。

一流ブランド、シャネルの誕生

ココの愛称で歌手を夢みて歌っていたシャネルは自分の才能に限界を感じ、歌手になることを諦め、当時交際していた将校のバルサンと共にパリ郊外へ移り住みます。その時退屈しのぎで作っていた帽子のデザインが認めれられ、パリ17区マルゼルプ大通りで帽子のアトリエを開業。シャネル、20歳後半の時です。

その後も次々と発表するコレクションで認められ、大成功をおさめたシャネルは、当時の女性たちが身に着けているドレスに注目します。ウエストをきつく絞ったデザインで丈の長いドレス。とても窮屈そうに感じたシャネルは考えました。

「もっと女性でも動きやすいデザインの服は作れないだろうか」と。そこで目を付けたのがジャージ素材の男性水着。伸縮性があるその素材で作ったドレスを目にした先輩デザイナーからは「あんなのはドレスじゃない」と酷評を受けるのですが、第一次世界大戦が勃発した当時の自立した女性たちからはそのジャージ素材がうけ、シャネルのショートカットをまねるなど世の女性たちのカリスマとされます。一流ブランド、シャネルの誕生です。

そのシャネルはこんな名言を残しています。

『気品というのは新しいドレスを着ることではない』

『シンプルさはすべてのエレガンスの鍵』

シャネル、突然の引退

一流ブランドとして世に認められ成功を収めたシャネルですが、1939年56歳のとき、突然ファッションの世界から引退します。そのきっかけは、第二次世界大戦の勃発でした。

「ひとつの時代が終わった。もうドレスを作る人なんて必要ないわ」との言葉を残し、当時付き合っていたドイツ軍将校の恋人とともにパリからスイスに移り住むことになります。

何事もハッキリとした自分の意見を持つシャネル。自分の名声に固執するのではなく常に前を向いて生きていたのです。

シャネル、復活!

70歳になったシャネルは、むかし自分が闇に葬ったはずのウエストを極端に絞った丈の長いドレスを女性が着ているのを目にし「すごくムカついた」らしいのです。そして「死ぬほど退屈だった」隠居生活に終止符を打ち、15年ぶりに店を再開させます。

しかし、発表されたシャネルの作品に対しフランスのメディアは「シャネルの時代は終わった」と酷評。どうやらシャネルはフランスではあまり受け入れられなかったようで、正当な評価をしてくれないフランスに見切りをつけシャネルはアメリカに渡ります。アメリカでも精力的に次々と作品を発表すると、フランスとは違い高評価を得たのです。

そして遂に1957年、ニーマン・マーカス・ファッション賞を受賞。一度は自らの手で幕を引いたシャネルでしたが、再びファッションの世界に舞い戻ってもその才能は衰えるどころか、その時代時代で世の中に受け入れられるシャネルはまさしく、世の中から望まれて生を受けたような気さえします。

シャネル、最後の言葉

1971年1月10日、87歳で天国に旅立ったシャネルは亡くなる日の前日、年の離れた友人と会食を楽しんだのですが、別れ際「明日も仕事をするわ」と言い残します。

生前、彼女は「仕事のない日曜日は大嫌い」と言っていたようですが、父親に捨てられた過去が彼女の心に深い影を落としていたため家庭というものに希望が持てなかったのかもしれません。現にシャネルは数多くの恋人との恋愛は楽しんだようですが、生涯結婚しませんでした

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