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【悪役?】中国歴代王朝を動かしていた宦官とは【善玉?】

中国の王朝物の小説やコミックスにしょっちゅう登場する宦官。去勢された男性が皇帝や高級のお妃さまたちのお世話をする、というのは有名ですよね。さらに言うと、陰謀の裏に宦官ありという悪役じみた描写が多くみられます。なぜ宦官のイメージがそのように悪いのか。歴史に名を遺した宦官がいなかったのか、今回は取り上げていきましょう。

宦官とは

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宦官はかなり古い時代から登場します。後漢の時代には既に役割が定着していました。

宦官になる方法は主に3つ。一つは戦で占領した地域の捕虜や奴隷を去勢する。もう一つは刑罰として男性器を切り落とす宮刑。最後に、自ら宦官に志願し去勢する浄身(自宮とも)です。

もともとは蔑まれる存在だった

当たり前ですが、生殖能力を失うというというのは肉体的にも精神的にも大きなダメージです。だからこそ、捕虜や奴隷に施術されたり、刑罰に採用されるわけですが。

また、中国では儒教の考えが根付いており、子孫を残せないことは先祖に対する裏切り・冒涜と考えられていました。

よって宦官というのは哀れで忌むべき存在と考えられたのです。

権力を掌握できたわけ

しかし、男性としての機能を失ったからこそ活躍できる場がありました。後宮です。後宮の女性は(地位・身分で望むことすら無理な場合もありますが)すべて皇帝のお妃、あるいはその候補ですね。

彼女たちは後宮の外に自由に出ていくことはできません。なぜなら、ほかの男性の手がついてしまったら…。当然、後宮には皇帝以外の男性も自由に出入りもできません。

そこで活躍するのが宦官です。後宮の様々な雑用を受け持ち、連絡係などを務めました。当然、よく働けば身分の高いお妃さまからの覚えめでたく重用され、場合によっては皇帝からも目をかけられるようになります。

中国の役人登用制度

一方、中国では役人登用制度が非常にしっかりしていました。清代まで行われていた科挙です。科挙は優秀な人材を登用するために広く門戸を開いていましたが、突破するのは非常に困難。大変難しい試験のために、本人の資質だけではなく対策のための時間と費用が必要でした。

そのような時間とお金をかけられるのは、もともと地位と身分のある家系の出身者か、大金持ちの子息に結局は限られます。誰でもチャンスはあるといいながら、実際はそうではありませんでした。

ところが、宦官になれば出自が卑しくとも、犯罪者であっても、宮廷の要人に近づくことができるのです。また、公の場で皇帝に接する官僚と、寝室などプライベートな場で言葉を交わす宦官。心情的により親しく感じるのはどちらか、想像するのは難しくありません。

時代が下るにつれて、庶民が立身出世を図るために宦官になることは珍しいことではなくなります。当時の医療技術レベルと社会的な偏見を考えると、相当の覚悟であったことが想像できますね。

汚職に走るわけ

後宮の女性にもランクがあったように、宦官にもランクがあります。そこにはピラミッド構造をした純然たるヒエラルキーがありました。つまり、宦官となっても権勢を振るえるのはほんの一握り。上の者が下の者を抑圧する構造があり、押さえつけられたエネルギーは自らの出世へのモチベーションへとなりました。

さらに、正式な登用試験を受けたわけではないので、仕える主人の機嫌一つで首が飛ぶ危うさもありました。また、出世がかなわなかった宦官は、仕事に耐えられなくなると打ち捨てられるという悲惨な末路をたどります。そういった恐怖もあって、将来に備えて蓄財に走るものも少なくありませんでした。

王朝に巣食う悪名高き宦官たち

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では、史実やフィクションで悪名を馳せる宦官たちを3人ほど紹介します。

趙高

趙高は始皇帝に仕えていた宦官です。なぜ宦官になったのか、そして始皇帝に仕えていた理由は諸説あり、はっきりとしていません。

あの始皇帝に重用されていたことから有能だったのは間違いないでしょう。しかし、始皇帝の死後に取った行動が最悪でした。

始皇帝の死を隠し、人品優れた太子を自殺に追いやり末子を即位させました。その後は阿房宮の大幅なリフォームで散在、作業に駆り出した人民を疲弊させました。さらに悪いことに蒙恬をはじめとする始皇帝存命時からの有能な家臣を次々に罠にはめ処刑

国の屋台骨をガタガタにしてしまいました。こうして秦という大帝国が滅ぶ原因を作ってしまった趙高は、悪臣の代表格とされ、汚名を現在まで残しています。

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